タイトル一覧

書評:希望のしくみ/アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司 | 乃木神社の結婚式 | 書評:幣原喜重郎とその時代/岡崎久彦 | 乃木神社その2 | 書評:さとりへの道 上座仏教の瞑想体験/鈴木一生 | 乃木神社 | 美術展:歌川広重のすべて 第二部 | 美術展:浮世絵で楽しむ江戸の旅 〜東海道宿場めぐり〜 | 書評:初めての本 上座仏教/アルボムッレ・スナマサーラ | 亀戸の猫 | 書評:どうすれば最高の生き方ができるか/ノーマン・V・ピール | 上野駅でパントマイム | 書評:野鳥を呼ぶ庭づくり/藤本和典 | 書評:幸福の政治経済学/フライ、スタッツァー | 上野動物園の前で | 書評:読書のすすめ 第10集/岩波文庫編集部編 | 書評:猫町/萩原朔太郎 | 書評:小村寿太郎とその時代/岡崎久彦 | 書評:「旅情詩人 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」図録 | 犬と乳母車 | 書評:蒲団/田山花袋 | 湯島天神の池 |

2005年06月28日

書評:希望のしくみ/アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

『希望のしくみ』(著者:アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司,出版社:宝島社)


じつは期待していなかった。インターネットの書評で内容がよくないと書いてあるのを見たからだ。読んでみて、まさにその通りだった。

スマナサーラ長老と養老孟司が対談する場面があまりに少ない。編集者がなにか質問して答える形式がこの本の基本形なのだが、編集者とスマナサーラ長老、編集者と養老孟司というやりとりが多すぎる。これではなんのための対談なのかわからない。

ふたりのやりとりも短く、あまり内容に踏み込んだりしないし、議論などはまったくない。お互い同意があるというか理解しあっているようではあるけれど、話が膨らまないのでは対談としては面白くない。

よっぽどの理由がないのなら、読まないほうがいい。
  

乃木神社の結婚式

乃木神社、2002-03-10-003.jpg
photo by Cozy

PENTAX MZ-3、FA43mmF1.9Limited。

2002年3月。乃木神社での結婚式。

この日、カメラ好きの外国人がいて、フィルムカメラでこの様子をさかんに写真に撮っていた。単体の露出計で露出を測っていたら、その外国人に露出を教えてくれと言われた。

その後、片言の英語で会話をしていたら、安い中古カメラ屋を教えて欲しいと言われ、目黒の三宝カメラを教えてあげた。あの人はちゃんとお店にいけたのだろうか。あそこは場所がわかりにくいから、難儀したかもしれない。

  

2005年06月25日

書評:幣原喜重郎とその時代/岡崎久彦

『幣原喜重郎とその時代』(著者:岡崎久彦,出版社:PHP研究所)


岡崎久彦氏による近代日本「外交官とその時代シリーズ」の第3弾。

本書では1911年の中国の辛亥革命から1931年の満州事変までの20年間をあつかっている。

幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は日本で初めて外交官試験を合格して外交官となった秀才。考え方も堅実でアングロサクソンを中心とする西洋列強の常識判断にそった英米協調派だ。

時代はと言うと、国際的には第一次世界大戦後、一転して軍縮の方向にあり、アメリカのウィルソン主義による外交上の理念や道徳性を重んじる傾向にかわりつつあった。国内的には大正デモクラシーによる政治的文化的安定期にあった。その意味で幣原は平和な時代に適合した外交官だった。

しかし、中国では反日侮日運動が高まり、排日的動きがさかんになる。これに反発する帝国主義的な国内世論や日本軍部は幣原の対中国内政不干渉姿勢を軟弱外交と批判する声が高まる。やがて軍部の計略により満州事変へと突入する。

日英同盟が終わり、かわりに結んだ日・英・米・仏による四カ国協定はやがて空洞化し、幣原が外務大臣をやめることでさらに英米とのむすびつきが弱まる。ウィルソン主義による国際的な状況の変化があるにもかかわらず、日本はあいかわらず中国対する帝国主義的な態度が捨てられない。これが次の時代の悲劇へとつながっていく。

歴史的な大きな事件がなくこれまでの3巻の中では一番退屈するが、大正デモクラシーへの高い評価と戦後デモクラシーとの連続性についての指摘は重要。そのあたりの文章だけでも読む価値はある。

あとがきから関連部分を引用しておく。

「こうした各種の偏向史観に加えて、占領軍史観というものがあると思う。歴史観というほど学問的なものではないが、明治以来大東亜戦争に至る日本の歴史はすべて悪であり、アメリカの占領と新憲法によって、日本は新たに生まれ変わり、善の道を歩むようになつたと教えようという、占領軍の政策によるものである。そもそも戦後日本のデモクラシーはライシャワーなどの進言により、占領軍が大正デモクラシーを復活させたものであるが、占領当局としては、この事実は伏せて、戦後のデモクラシーは、日本というまったく根のないところに占領軍によって新たにもたらされたものだと教えようとした。大正デモクラシーにはふれても、それは戦後の民主主義とは較べものにならないほど後れたものだったとの印象を与えようとした。
 これは、軍国主義時代の言論統制に優るとも劣らない厳しい占領軍の言論統制の下で、国民の中にかなり深く浸透した史観である。軍国主義時代の厳しい検閲は1938年(昭和13)の国家総動員法の頃から敗戦までの7年間と考えれば、占領は1945年から1952年までの七年間であるから、同じくらい強い影響を国民の中に残してもなんの不思議もない。その上、この日本の過去をすべて悪とする史観は、占領終了後も、今度は日本を弱体化させたままでいさせようというソ連、中国の共産側プロパガンダと、これを受けた日教組や、新聞・出版関係の労組によって維持されたので、軍国主義偏向よりももっと長い期間、国民に影響を及ぼしている。」

本書はどう歴史を見るか、どう記述するかという問題意識が極めて強い。上記引用箇所では歴史がゆがめられていることを危惧した筆者の執筆動機が語られており、力が入っている。あとがきだけでも読む価値はある。

  

2005年06月23日

乃木神社その2

乃木神社、2002-03-10-002.jpg
photo by Cozy

PENTAX MZ-3、FA43mmF1.9Limited。

2002年3月。乃木神社の続き。

前の写真の女性は彼氏と一緒に来ているのでありました。逆光に光る髪の毛がけっこうきれい。
  

2005年06月22日

書評:さとりへの道 上座仏教の瞑想体験/鈴木一生

『さとりへの道 上座仏教の瞑想体験』(著者:鈴木一生,出版社:春秋社)


著者は日本テーラワーダ仏教協会の創設者。

著者は最初会社経営者でまったくの無宗教だったのが、ひょんなことから仏教に触れ、のめり込み、日本仏教の僧侶の資格を取るまでになる。しかし、日本人の上座仏教の比丘(男性出家信者)にであうことで上座仏教の関心を持ち、ミャンマーで修行をするようになる。

その修行の過程で邪魔になったのがそれまでの、法華経こそ最高の教え、大乗仏教はすばらしいという偏見だった。どうしてもそれまでの仏教知識に照らし合わせたり、大乗的に解釈したりしてしまうらしい。何も知らずに最初から上座仏教に入ればおそらくすっと理解できるものでもそれまで真実と思い込んでいた考えがかたくなに抵抗をしてしまう。

瞑想は精神統一をしなければならないものという思い込みもヴィパッサナー瞑想には邪魔になった。精神統一する瞑想はサマタ瞑想と呼ばれていて、ヴィパッサナー瞑想とは種類が違うので精神統一にこだわるとうまくいかない。

著者の場合、自分の体験知識が人並み以上であることがわざわいし、さらにミャンマーで通訳のいない状態での修行が指導者との意思の疎通を欠くことになってしまい、無駄な時間を費やしてしまったようだ。しかし、大乗仏教の知識を持ち、瞑想といえば禅のイメージを持っている日本人が陥りやすい失敗をしてくれているので日本仏教と上座仏教徒の違いが明確になるので、読者にとっては好都合だ。(私はもともと大乗仏教は好きではないが)

本書にはスマナサーラ長老もたびたび登場し、その謦咳に触れることができる。スマナサーラ長老はスリランカの僧なので、ミャンマーでは短い時間しか登場しないのだが、その存在感は大きく、著者を大いに助けている。この出会いと影響の大きさが現在の日本テーラワーダ仏教協会におけるスマナサーラ長老の役割の大きさとなっているのだろう。

タイトルに「さとり」とあるのは、著者が瞑想中に体験する「身体全体そのものが消えて、ただ認識しているこころだけが残っている」経験のことを指しているようだ。それが本当に悟りかどうかは私には判断できないが、少なくとも一度の悟りではどうしようもないようだ。この経験を再現しようと著者は瞑想をするが、かえってうまく瞑想ができなくなってしまう。十牛図などにあるように、一度、悟りを得てもそれを忘れる必要があるらしい。

修行の世界と並んで興味深いのは、ミャンマーの人々にとっての仏教の存在だ。日本とはまったく違い、人々の積極的な献身で僧の生活が成り立っている。布施がごく自然に生活の中にあるようだ。葬式仏教としてしか存在できない日本仏教の悲しいあり方について考えさせられる。

また日本人の感覚からすると劣悪な修行環境も印象的だった。不殺生のためにさまざまな生物が徘徊し、板の上に汚れたござ一枚で寝るような無一物に近い修行生活。これに耐えられるだけでもすごいことだと思う。

本場の修行について知りたい人にはおすすめの一冊。
  

2005年06月18日

乃木神社

乃木神社、2002-03-10-001.jpg
photo by Cozy

PENTAX MZ-3、FA43mmF1.9Limited。

2002年3月。赤坂にある乃木神社で。

すぐ横に旧乃木邸がある。毎月第2日曜に骨董市が開かれている。外国からのお客さんもちらほら。

  

美術展:歌川広重のすべて 第二部

太田記念美術館では開館25周年記念の特別展として『歌川広重のすべて 第二部』を観てきた。

すでに終了しているので、個人的メモ。

5月の第二部は広重の版画作品。「東都名所」シリーズ全点、「近江八景之内」シリーズ全点、「東海道五拾三次之内」シリーズから一部セレクト。他に数が少ないと言われている「江戸近郊八景之内」、「東都司馬八景」、摺物「鳥兜の図」など。

何度も見ているので保永堂版の東海道五拾三次が中心だったらイヤだなと思っていたら、そうではなかった。見たことのない風景画、実物を始めてみるものが多く収穫があった。でもやっぱり蒲原が最高傑作だと思う。次が庄野か。

現在は第三部が開催中。「名所江戸百景」シリーズ全点を展示なり。

tokai46-shono.jpg
安藤広重『東海道五拾三次之内 庄野』
  

2005年06月17日

美術展:浮世絵で楽しむ江戸の旅 〜東海道宿場めぐり〜

たばこと塩の博物館でやっていた企画展「浮世絵で楽しむ江戸の旅 〜東海道宿場めぐり〜」を見た。と言っても、とっくに終了しているので、一応備忘録として記す。

東海道に関係するさまざまな浮世絵を展示している美術展。広重の保永堂版「東海道五十三次」はもちろん(といっても一部のみ)、美人画と風景画や宿場絵を組み合わせた浮世絵、『東海道中膝栗毛』を元にした漫画風の絵など、あまり見かけない絵が一度にたさくん見られてけっこう満腹感があった。旅が庶民の楽しみであったことから、それを描いた絵もまた娯楽性が高くなるようだ。

入場料は100円。ホントこの「たばこと塩の博物館」って良心的だ。

三代歌川豊国画、「東海道五十三次之内 大津ノ図」、toyokuni-ootsu.jpg
三代歌川豊国画「東海道五十三次之内 大津ノ図」
  

2005年06月16日

書評:初めての本 上座仏教/アルボムッレ・スナマサーラ

『初めての本 上座仏教―常識が一変する仏陀の教え』(著者:アルボムッレ・スナマサーラ,出版社:大法輪閣)

著者はスリランカ仏教界の長老(お坊さん)のひとり。1980年に来日し、駒澤大学大学院博士課程を修了し、現在は日本テーラワーダ仏教協会で活躍されている。

上座仏教とはスリランカ、タイ、ミャンマーに伝承された南伝仏教のことだ。パーリ語ではテーラワーダといい、「長老の教え」を意味する。成立年代の古い原始仏典を使い、釈尊がつくった修行方法の伝承も行なっているという点で、原始仏教、初期仏教と呼んでもいいようだ。

私は以前より仏教に関心があり、いろいろと仏教関連本は読んでいる。中でも岩波文庫から出ている中村元訳の原始仏典のシリーズのスッタ・ニパータとダンマパダはたまに読み返すこともあり、愛着を感じている。

となれば、上座仏教について書かれた本書には当然私のよく知っている内容が書かれているはずなのだが、あまりに違う内容なので驚いてしまった。「心はただ刺激を欲しがっている。刺激のためなら殺人もする」とか、「あるのはエゴだけ、自己愛だけ」とか、従来の仏教書とは違う強烈な言葉が並べられていた。

通常の仏教書なら、人間の苦しみである四苦八苦は自己への執着から生まれますなんて話が最初に来るものだ。だから自己への執着をなくせば人間は救われると続く。ところが本書はあまり仏教用語を使わずに人間の暗黒面をがんがん強調してくる。露悪的なまでに「こころ」の性質を暴いてくる。半端な人間理解では仏教の世界には入れませんよと言わんばかりだ。

阿含経典には実際にこういうことが書かれているのだろうか。それとも著者の解釈が多く入り込んでいるのだろうか。そのあたりのことがわかるように、丁寧な引用が欲しいところだが、いずれにせよ私はガーンとやられてしまった。

しかし、いくら苦について詳しい説明があったところで、それだけではどうしようもない。救済がなければ仏教ではない。本書は、仏教の救済部分としての修行についての説明もそれなりに納得できるものだった。

その修行についてちょっとだけふれておこう。

修行法のひとつにヴィパッサーナ瞑想法と言うのがある。ヴィッパサーナとは「あるがままに観察する」という意味だ。自分が今ここでなにをしているのかをあるがままに観察する。クリシュナムルティがよく言っている「あるがままのものをあるがままに見よ」と同じことかもしれない。その方法がきちんと体系化されていて、誰でも実践できるようになっている。

この実践により、妄想が消え、今ここに生きられるようになる。そして、種々のとらわれや、誤った自己意識から開放される。

ヴィパッサーナ瞑想については知っていたが、今まではあまりピンとこなかった。今回はインパクトが強かったせいもあって、俄然興味を持ってしまった。本書の説明が自分に合っていたということもあるだろうし、時期的にいいめぐりあわせだったこともあるようだ。

初めての本として、これがいいのかどうかはよくわからないが、仏教に関心のある人におすすめしたい。仏教書としては破格の面白さではないだろうか。
  

2005年06月15日

亀戸の猫

猫、2002-03-02-004.jpg
photo by Cozy

PENTAX MZ-3。

どこだろう。亀戸であることは間違いない。亀戸中央公園だったか。フィルムをさがして袋を調べればわかるのだが、面倒なので、亀戸ってことで満足しておこう。

向こうに見えるおじいさんも写真を撮っていた。花をちぎってきて、台に固定させてマクロ撮影をしていた。

  

2005年06月14日

書評:どうすれば最高の生き方ができるか/ノーマン・V・ピール

『どうすれば最高の生き方ができるか』(著者:ノーマン・V・ピール,出版社:三笠書房)

目標を持つこと。失敗しても成功するまで粘り強く努力を続けること。この手の本のおもな内容はこのように要約できるのではないだろうか。

原理は単純。しかし、実践はむずかしい。

本書では人の役に立つことを目標に選ぶようにとのアドバイスがあるだけで、どういう目標を持てとまでは指定していない。しかし、この本を読む人のほとんどがなんらかの社会的成功を目標に置こうと考えるに違いない。そうでなければこの種の本は読まないのではないだろうか。

自分の中には何らかの意味での社会的成功を達成したい気持ちとそういうものを捨て去りたい気持ちの葛藤がある。当然、前者の気持ちに火をつける役割を果たすのが本書である。ところが、読んでいる途中からつまらなくてやめたくなった。その種の野心が自分の中でどんどん減りつつあるのではないかと言う気がする。最高の生き方は野心とは別のところに存在するような気がしてならない。

自分の野心や社会的成功ではなく、たとえばワークシェアリングの実現や直接選挙制の実現を目標として掲げる生き方も当然ありえるわけだが、そういう目標を想像してもどうも燃えるものがない。

自分はもっと静かにひっそり生きたいと思っているのだろうか。エピクロスを尊敬するB級遊民には社会的な夢も目標もいらないのだろうか。それならいっそ夢や目標を持たずに生きていけるようになるという目標を持とうか。

  

2005年06月12日

上野駅でパントマイム

上野駅、パントマイム、2002-02-23-026bw.jpg
photo by Cozy

PENTAX MZ-3。

上野駅でのパントマイムのパフォーマンス。公園内で大道芸人をよくみかけるが、駅前にほとんど動かないパントマイムの人がいた。子どもが不思議そうに見ていた。お金を入れると動くらしい。

  

2005年06月10日

書評:野鳥を呼ぶ庭づくり/藤本和典

『野鳥を呼ぶ庭づくり』(著者:藤本和典,出版社:新潮選書)


本書のタイトルは誤解を招く。著者の主張はたんに野鳥の餌付けをしましょうということではない。もっと大きな視野で多くの生き物が集まる豊かな庭のあり方を提言している。

そのためには日本の風土にあったそして本来の生態系を生かした庭造りをしなければならない。だから外来種や改良種を庭に入れてはいけない。その土地に適した樹木を植えなければ、その土地の昆虫や鳥は集まらない。

蝶やハチは自分が好きな花を知っていて、蜜を吸いながら自然に植物の交配をすすめる。てんとう虫やクモなどの肉食の昆虫は植物を食べる昆虫を食べるので無農薬でも植物は守られる。鳥は実を食べては、糞に混じった種を落としていく。

池をつくり、メダカを入れることも勧めている。環境にあった池作りをすればトンボやカエルもやってくる。メダカはぼうふらを食べるし、トンボが蚊の成虫を食べる。カエルは大量の虫を食べるので昆虫の大量発生を防ぐことになる。

このように自然の生態系をうまく利用すればバランスの取れた手のかからない「里山の庭」ができる。そして季節の変化と生き物の共演を楽しめる。

こうした「里山の庭」の中心になるのは、5種類の異なる樹だ。その地域に自生するものから落葉広葉樹を5種類選んで植えることがコツだそうだ。

本書のよさは自然を見るときの新たな視点が得られることだ。目を引くキレイな花が咲いているとか庭がきちんと整理されていることは重要ではない。むしろマイナスになっていることもあるだろう。それよりも自然の生態系が作られていること、その土地の本来の自然環境を壊していないことが大切だ。

ちなみに生き物があつまる環境をビオトープと呼ぶそうだ。最近は庭やベランダビオトープを作る生態系的園芸がブームであるらしい。インターネットで検索するといっぱい出てきた。
  

2005年06月08日

書評:幸福の政治経済学/フライ、スタッツァー

『幸福の政治経済学』(著者:ブルーノ S.フライ,アロイス・スタッツァー,出版社:ダイヤモンド社)


幸福についての研究書。何が人を幸福にするのかを過去の多くの知見からまとめているが、本書の特徴は経済と政治がどのように幸福と関係があるのかをあらたに示した点にある。

統計処理法についての細かいことを言ってもつまらないので、幸福に関係する各要因についてまとめ、ついでに私のコメントを記しておこう。

■性格的な要因
・楽観主義者の方が悲観主義者より幸福になりやすい。(非現実的な楽観主義でも)
・統制感を持っている(自分で状況を換えられると思っている)人のほうが幸福を感じている。(非現実的な統制感でも)
・外向的な人のほうが内向的な人よりも幸福を感じやすい。

コメント:
なるほどそうだろうという感じがする。悲観主義は馬鹿らしいし、自分の内面ばかりを見つめるような生活も御免こうむりたい。しかし、だからといって非現実的な楽観主義者にはなりたいとは思わないし、無理に外向的になりたいとも思わない。そのあたりの按配が自由にならないのが困ったところだ。私はしばしば悲観的になり、さらにしばしば内向する。朗らかな心はなによりの財産と言ったショーペンハウアーは悲観哲学の巨人だった。

■社会・人口統計上の要因
・加齢とともに不幸になるということはない。むしろ若者と高齢者は中年層より幸福だ。
・女性は男性よりも幸福だが、その差は小さく近年消滅傾向にある。
・自己評価による健康は重要な幸福要因である。(医師による客観的な健康評価の影響はこれよりはるかに少ない)
・独身者は既婚者より幸福度が低いが、近年縮小傾向にある。(離婚、死別などの幸福度はかなり低い)
・神を信じることと幸福のあいだには正の相関がある(信じる人はより幸福)。しかし、その効果は大きくはない。

コメント:
自分の健康に楽観的な老後が理想らしい。わかっちゃいるけど、これもまたむずかしい。せめて生活習慣病には気をつけたい。

健康は客観的な状況よりもそれをどう思うかが重要と聞いて、ストア哲学を思い出す。エピクテートスによれば、「人の心を乱すものは、ものごとではなく、そのものごとに対する解釈である」という。ちょっとしたことで気に病む人もいれば、かなり悪くなっているのに平気な人もいる。たとえ病気でも泰然としていたいものだ。

未婚者の幸福度が高まっている一方で、既婚者の幸福度は低下しているという。結婚しても幸福になるのが難しくなりつつあるのだろうか。とりわけ日本ではセックスレスが深刻のようだし、すごい勢いで晩婚化が進んでいる。家族というリスクに足踏みをする人が増えているようだ。

現在の東京は独身者が多いし、独身者が暮らしやすい環境になりつつある。結婚して失敗するよりはシングルのままでいるのもまたよきかな。

影響は大きくないにしても、神を信じていないことで損をしている気がする。だからといって急に信じられないし…。原始仏教ではダメだろうか。暗いよねえ、原始仏典は。

■経済的要因
・途上国においては幸福と所得の間に相関があるが、先進国においては幸福と所得の間に相関は認められない。
・失業は失業した本人を不幸にするだけではなく、それ以外の人の幸福度も低下させる。(リストラの不安感など)
・インフレは国民の幸福度を低下させる。

コメント:
年収が1万ドルを超えたあたりから収入が増えても幸福度や生活満足度は上昇しなくなる。B級遊民のブログで書いたようにも日本はもう頑張ってGDPをアップしてもしょうがない。働きすぎ。本書に「日本における国民一人当たり実質GDPと生活満足度の推移」のグラフが出ているが、これをみると、1958年から日本人の生活満足度はまったく同じだ。

みんなで仕事を分け合って失業をなくし、そこそこの生活費で暮らしていくのがよい。やっぱりワークシェアリングが正解だ。本書には高所得者から税をとって、再分配するのがよいとの提言もある。頑張った人には多くの所得をというアメリカ的競争主義は無用。累進課税の上限を下げたのは失敗だった。小泉総理の政治思想は国民の幸福にとってはマイナスだ。

■政治的要因
・直接民主制と地方分権は幸福を増大させる。
・幸福にとっては、実際の政治参加よりも参加する権利の方がより重要だ。
・外国人は、その国の国民よりも幸福度が低い。(投票権がないから)

コメント:
自分にはこの社会をどうするかを決める権利があるという意識が幸福感を高める。しかし、日本人の多くが、自分が投票しても何も変わらないという意識を持っている。これが日本人の不幸の大きな要因だろう。

地方分権を進め、住民投票による直接選挙をひろめること。これが今後の政治的課題だ。

総括的感想:
幸福の個人的要因はさておき、社会制度においては「仕事のシェア」と「政治決定権のシェア」を進めることが大切だ。このことを多くの人が認識すれば社会はいい方向に変わっていくのではないだろうか。

今後は私の読書に政治分野が加わりそうな予感。

本書はかなりおすすめの一冊。でも、重要な部分はまとめちゃったので、この記事を読めば十分かもしれない…。
  

上野動物園の前で

上野公園、2002-02-23-021bw.jpg
photo by Cozy

PENTAX MZ-3、FA77mmF1.8Limited。

上野の動物園の前で記念撮影する若者。撮影しているのは守衛さん(ガードマン)。

中腰になっているのはやはりアングルを考慮してのことだろう。この守衛さんはなかなか写真好きなのかもしれない。

  

2005年06月07日

書評:読書のすすめ 第10集/岩波文庫編集部編

『読書のすすめ 第10集』(編集:岩波文庫編集部,出版社:岩波書店)

書店の店頭で無料で配布されている「読書のすすめ」最新版(2005年5月24日発行)。

執筆者は、池澤夏樹、角田光代、鎌田慧、佐伯彰一、筑紫哲也、西川祐子、宮田毬栄、リービ英雄という顔ぶれ。とくにどうということもない随筆集だけど、文章はうまいし、各編とも短くさっと読めるのがいい。ひまつぶしにいかが。

  

2005年06月05日

書評:猫町/萩原朔太郎

『猫町 他十七篇』(著者:萩原朔太郎,編集:清岡卓行,出版社:岩波文庫)

大正から戦前まで活躍した詩人、萩原朔太郎の散文詩、小説、随筆などの散文作品を集めている。巻末には清岡卓行(たかゆき)による長い解説がついている。

朔太郎の詩は気味の悪いイメージやネガティブな感情に彩られたものが多いが、この散文集もその傾向は強い。朔太郎はもともと精神的に病的な傾向があるようだ。そこに生活上の不幸が重なって「鬱」な世界を形成しているらしい。生活上の不幸と言っても、自らの怠惰、人間嫌い、消極的な態度が原因だ。

作品としては「猫町」「ウォーソン婦人の黒猫」などの小説はつまらなかった。むしろ散文詩の方が味わいがある。やはり詩人的な感性が強すぎて、というか構築的な書き方ができないために小説が小説として成り立たないのだろう。

詩としてのよさとは違うが、芥川と死について語った『詩人の死ぬや悲し』が印象に残ったので全文引用する。

***********************************

『詩人の死ぬや悲し』 萩原朔太郎

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟(しげき)し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞(はに)かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈(はげ)しく言つた。
 「著作? 名声? そんなものが何になる!」
 独逸(ドイツ)のある瘋癲(ふうてん)病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
 あの傲岸(ごうがん)不遜(ふそん)のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁(し)みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める為(ため)に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞(うつろ)な悲しいものであつたらう。
 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」
 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚(ばくりよう)たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷(とうごう)大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為(な)すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。
 それ故(ゆえ)に諺(ことわざ)は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善(よ)しと。だが我我の側の地球に於(おい)ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!

***********************************

朔太郎は成人しても親の厄介になりながら暮らしていた。結婚をしても収入が少なく、社会的責任を果たしているとはとても言えず、鬱屈した気持ちが長く続いた。やがて原稿がそこそこ売れるようになってからも、詩人としての自分の仕事に満足感はなかったようだ。なにしろその詩は非社会的で退廃的。彼には自分の詩がただ自分の心情を吐露するだけのものであるとの認識がある。朔太郎には「結局それがなんになる?」という虚無感が常に底流にあったようだ。そういう気持ちが端的に現われた作品なので引用した次第だ。

人が家族を大切にしたり、ナショナリズムに走ったり、あるいは歴史物を好きになる理由は、自分を超えるものへの一体感を感じることで虚無感から逃れることができるからだろう。朔太郎には家族愛もナショナリズムも歴史ヒーローへの憧憬もない。そういう意味では、孤独に一人立つ人という点で彼は近代の知識人の典型なのかもしれない。

「秋と漫歩」「老年と人生」のふたつの随筆も収録されている。かねてから思っていたが、朔太郎は随筆が面白い。詩的な表現をするよりも気持ちや考えをそのまま表した随筆の方が朔太郎と言う人を理解しやすいし、共感しやすい。荷風の小説よりも日記が面白いように、朔太郎は詩よりも随筆が面白い。それは彼らの人間像そのものが面白いからではないだろうか。それを面白いとおものは私の底流に虚無感があるからだろうか。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

2005年06月04日

書評:小村寿太郎とその時代/岡崎久彦

『小村寿太郎とその時代』(著者:岡崎久彦,出版社:PHP研究所)


日清戦争後、朝鮮半島への進出をめぐってロシアと日本の対立が激化する。すでに満州に勢力を伸ばし清国に拠点を築きつつあるロシアが朝鮮半島をおさえてしまえば、やがて日本も侵略されるのは間違いない。日本の独立を守るためには朝鮮半島は何がなんでも日本の勢力下におかなければならない。

日本はロシアのライバルである英国と日英同盟を結び、日露戦争へと突入する。ロシアは圧倒的な軍事力(とくに陸軍)を有していたが、極東への軍事力の配備が遅れていた。早期の開戦が幸いし日本はなんとか互角に近い戦いができた(日本の方が被害は大きい)。しかし、戦いが長引けばなからずロシアは盛り返してくる。しかもバルチック艦隊が日本へ向けて出発している。どうなる日本。

そこで有名な日本海海戦の奇跡的勝利がもたらされるのだが…。一般に知られているのは敵前大回転の作戦だ。しかし、本書を読むとそれよりも日本の砲弾の命中率の高さと発射速度の速さがなによりも勝敗を分けたようだ。相手のバルチック艦隊が急ごしらえの乗組員を乗せ、長旅を続けている間に、日本の連合艦隊は砲撃の練習を繰り返していた。つまり日本人の完全主義と勤勉さによる勝利といえるのだ。

さらに日本に幸いしたのはロシアの国内事情だった。さらに戦いが続けば日本はやはり勝てなかったと思われる。しかし、ロシア国内では共産勢力による反政府運動が高まっていた。ロシア皇帝(ツアー)は対日戦を続ける気は満々だったが、国民的な反戦の機運、反体制運動により戦争の継続は難しくなっていた。しかも、この運動には日本から工作員が送り込まれ運動資金も日本から出ていたというのだ。

本書の主人公は各国の大使(公使)をつとめ、のちに桂太郎内閣の外相として活躍した小村寿太郎だが、睦宗光ほどにはその人物像はクローズアップされていない。人物的には魅力に欠けるし、戦後の対応であまりにタカ派的な考えが目立つ。しかし、親露派もいた中で対ロシアの早期開戦をとなえたのは卓見であったし、日英同盟をおし進めていったのも結果的には日本に大きくプラスとなった。小村のおかげで日露戦争は勝てたともいえる。著者としてはその働きは十分評価しながらも、人物伝的な扱いはできなかったようだ。

そのかわりクローズアップされたのが日露戦争の経過だ。その判断は間違っていないようだ。日本がなぜ勝てたのかという問題は複雑で世界情勢や歴史の流れとも関係が深い。どうしても紙数が必要になる。さらに言えば、紙数を費やしたとしても日本の外交史という本シリーズの枠内では十分には語れない。そういう意味ではさらに大きな世界史的観点での歴史書が必要になるだろう。

日本が世界の列強と並び立つ必然と偶然。やがて悲劇へと突入する予兆。明治はこのようにして終わったのだった。多くの資料を駆使し、7人の専門家の検討に耐えた記述。レベルは高い。おすすめ。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

2005年06月03日

書評:「旅情詩人 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」図録

『旅情詩人 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展 図録』(発行:大田区郷土博物館)

ゴッホ展を見たときに美術館の4階で東京風景の小さな特集展示を行なっていて、そこに出展されていた東京の版画にひきつけられた。先に紹介した『新東京百景 木版画集』にも収録されていた作品もいくつか展示されていて、興味を惹いたのだが、とりわけ感銘を受けたのは川瀬巴水(かわせはすい)と織田一磨(おだかずま)のふたりだった。

ここに紹介するのはそのひとり、川瀬巴水の特別展の図録だ。大田区立郷土博物館が巴水の特別展を開いたのは、巴水が馬込の文士村に長く住んでいたからだ。しかし、馬込に住むほかの作家たちとの交流については不明とされている。

巴水は明治16年(1883)5月18日に東京芝区露月町に生まれ、昭和32年(1957)で亡くなっている。享年74歳。その間、明治、大正、昭和の風景を描き続けた。旅先での風景も多く残しているが、やはり東京を描いたものも多い。北斎、広重と並べて三大風景版画家と評価する声もある。

その版画は浮世絵的な感性で描かれている。画題も現代的なビルなどは描かず、日本的な自然や神社仏閣が多い。また、雪、雨、霧などの天候を好んだところも広重を髣髴とさせる。しかし、伝統的な表現ばかりにこだわったわけでもないようだ。「東京十二ヶ月」のひとつ「三十間堀の暮雪」での雪の表現は版画としては斬新ではないだろうか。

巴水の静謐な作品世界はヒーリング効果がありそうだ。懐かしくも夢のような風景に心が休まる。ほっと一息つきたい人にはおすすめだ。

川瀬巴水、増上寺の雪、hasui-zoujoujinoyuki.jpg
川瀬巴水『増上寺の雪』(1953)
  

犬と乳母車

不忍池、犬、2002-02-23-009bw.jpg
photo by Cozy

昨日と同じモノクロフィルムでの撮影。

上野の不忍池を散歩する人々。乳母車を押して3匹の犬を連れた奥さんは大変そうだ。

  

2005年06月02日

書評:蒲団/田山花袋

『蒲団・重右衛門の最後』(著者:田山花袋,出版社:新潮文庫小学館)


「蒲団」は田山花袋が若い女の弟子へ抱いた恋情を描いた小説。明治の自然主義文学のさきがけとも言われ、文学史的に重要な作品とされている。

発表は明治40年。その時代性を反映した作品世界が面白い。

中年の小説家である竹中時雄は若く美しい女性、芳子を弟子にとる。どうせブスだろうと高をくくっていたら美人がやってきたのでおおいに驚く。生活は華やいでばら色。しかし、女房子どものいる時雄は浮気ができない。時雄はこの女房にはすっかり飽きている。時雄は情欲を掻き立てる若く美しい芳子にひたすら恋焦がれる。

いろいろと懊悩しているうちに芳子に恋人ができる。この時代、結婚前の男女の交際がほとんど禁じられていたようで、若い二人がいっしょにどこかへ遊びに行っただけで大騒ぎ。汚れた行為(セックス)があったのではないかと時雄は疑心暗鬼。さらに相手の男が文学者になるとか言って上京してきて、時雄は大混乱。男は説得しても帰らない。時雄は芳子の故郷から父親を呼ぶ…。

こんな具体に話は進むのだが、やはりその倫理観のあり方などが時代の記録として面白いと思う。時雄は新時代の女性は自由であるべきだとか西洋の女性のように自立が必要だとかききかじりの男女平等論を披瀝しているが、じっさいに芳子がハイカラな身なりで遅くまで外出していたりするだけで心穏やかではない。神聖な恋は許せても(実際は義務感からそう装っているだけだが)、汚れた行為は断じて許せない。

可哀想なのは芳子の方だろと思うけれど、けっこう本人もいけないことをしてしまいましたって反省しているところがまたけなげ。でも、うまいこと時雄をだましていた彼女もなかなかのクセモノかもしれない。

男の身勝手や女性への差別的意識、新しい思想と古い倫理観。大人としての義務感と本音との葛藤。こうしたものがないまぜになって文学史上の一大事件ともなったトホホな物語を作り出している。古いからこそ面白い。近代の一端を知る一冊としてもおすすめ。

なお「重右衛門の最後」は読まなかった。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

湯島天神の池

湯島天神、池、2002-02-23-006bw.jpg
photo by Cozy

湯島天神の梅園にある池。池の中の植物、池の上に落ちる影、池の表面に反射する風景。これらが合成されてなんとなく面白かった。

この写真はモノクロのネガフィルムを使っている。普通のカラーと同じ方法で現像できるタイプなので、手軽に現像できる。スキャンをしたあとに色の調整をしないでもいい。でもフィルムの価格はべつに安くないので、結局カラーで撮って必要ならばレタッチソフトでモノクロ化すればいいではないか、という結論に達する。イマイチ用途不明のフィルムだった。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking