タイトル一覧

書評:人は食べなくても生きられる/山田 鷹夫 | 赤い服の親子 | 民間にできることは民間に | 小泉総理と靖国神社と霊魂 | 絵馬と大木 | 書評:若者が「社会的弱者」に転落する/宮本みち子 |

2005年09月11日

書評:人は食べなくても生きられる/山田 鷹夫

『人は食べなくても生きられる』(著者:山田 鷹夫,出版社:三五館)


冒頭に人は食べなくても生きられることを自分自身を使って実験するようなことが書かれているが、実際にはそこまではやっていない。著者はなにかしら食べている。食事を減らしている段階ならば最初からそう書けばいいのに。

著者は「実験」と書いているが、ちっとも厳密じゃない。何をどのくらい食べたかの具体的な記述がない。たとえば一月の食事内容を数値をあげて示してくれてもよさそうなものなのに、すごく曖昧だ。食事を減らしても、途中から体重が落ちなくなるというが、これも具体的な数値がない。

ぜんたいに大言壮語、妄想の類が目立つ。ちっとも実験ではないし、タイトルに偽りはあるし、ひどい本だ。
  

2005年09月09日

赤い服の親子

2002-04-27-001.jpg、杉並区大宮八幡宮
photo by Cozy

2002年4月。

PENTAX MZ-3。FA35mmF2.0。

杉並区の大宮八幡宮。この日は骨董市が立っていた。

読書ネタが激減しそうなので、ブログ名を元に戻した。秋だからスナップもしたいなぁ。

  

2005年09月05日

民間にできることは民間に

小泉総理がよく口にする「民間にできることは民間に」は原則的には正しい。

社会主義の国では労働意欲が低く、生産性が低かった。現在の日本の公務員の働きぶりを見ていても同様だ。役人に仕事を任せていては税金が有効に生かせない。

しかし、民間にも大いに問題はある。なんといっても、今の日本は労働の負荷が高すぎる。小さい政府と作るとともに民間企業のサービス残業や過当競争をさける真剣な取り組みが必要だ。

みんなが効率よく働いて自由時間がある社会がいい社会だと私は思う。民間にできることは民間にまかせ、なおかつ自由時間のたっぷり取れる社会システムを作ってくれる政党はないものだろうか。
  

2005年09月04日

小泉総理と靖国神社と霊魂

中国、韓国の圧力もあって総理をはじめ政治家が靖国神社に参拝しにくいので、宗教色のない新たな追悼施設を作ろうという動きがある。

しかし、話が進展しないようだ。いろいろと反対があるらしい。

靖国神社を神聖視する人はむろん反対する。また霊を信じている人も反対するらしい。

新しい追悼施設には外国からの反発の強いA級戦犯は入れないらしいのだが、靖国神社の説明では魂を分祀することはできないので、A級戦犯だけをはずすことはできない、ということだ。この説明に納得する人は新しい追悼施設は作ってもA級戦犯抜きの戦没者の霊を持ってこれないから無意味だと思うのだろう。

宗教色をなくすのなら、魂だの霊だのを問題にすること自体がおかしい。そもそも人間を神として祀ったり、魂がそこにあると考えたりすることが荒唐無稽だ。そんな説明など無視して追悼施設を作ればいいと思うのだが、追悼施設に戦没者の霊を持ってこないとならないと思ってしまう人が多くいるらしい。おそらく首相自身もそう思う一人なのだろう。

たしかに建物だけ作って参拝しても、なんの実感もないだろう。なにしろ参拝する人は霊に対して参拝するのだから。

それにしても中国は「戦没者の霊」をどう思っているのだろうか。靖国神社には戦没者の霊なんてありません、と冷ややかに見ていればいいのに、と思うのだが…。
  

絵馬と大木

2002-04-24-005.jpg、明治神宮
photo by Cozy

2002年4月。

PENTAX MZ-3。FA35mmF2.0。

明治神宮の絵馬奉納所は大木のまわりに囲うように作られている。絵馬のデザインはその年の干支(えと)が書かれたものが多いようだが、馬を奉納する代わりに馬の絵を奉納したのが起源だという。これはいわば定説。広辞苑にも載っている。

インターネットで調べると、紙に牛馬の姿を描いたものが本来の絵馬であり、厩に貼って、牛馬の安全や稼ぎを祈願したと書いてあるところがあった。本当だろうか。
  

2005年09月01日

書評:若者が「社会的弱者」に転落する/宮本みち子

『若者が「社会的弱者」に転落する』(著者:宮本みち子,出版社:洋泉社新書y)


若者がなかなか自立しない、大人にならない。そういう傾向が強まっていると著者は言う。就職、独立、結婚という従来の意味での自立が失われている背景には、労働の高度化および若者が正社員になりにくい雇用形態の変化、依存関係が長期化する親子関係の変化、子育てが苦役化する生活スタイルの変化などがある。そして大人とは何かを定義できない社会心理的状況が拍車をかける。

これらの問題があまり顕在化しない理由は、日本特有の親子関係にある。子どもがパラサイトしたまま家庭の中に囲われてしまっていて、表に問題が出てこないのだ。そんな状況を続けても問題が解決するわけはなく、社会に参画するチャンスが永遠に持てない膨大な層を生むことなるだけだ。

つまり社会全体が若者の自立を妨げ、その問題を隠蔽するように働いているわけで、なかなか解決策が見つけにくい状況であるようだ。

著者の提案は、「教育のコストを本人負担に」、「学生のアルバイトを職業につなげる」、「社会に若者を託すしくみや若者が自分を試す時期をつくる」の3つだ。

これらの提案はそれなりに有効かもしれないが、私としては、ワークシェアリングで若年労働力を吸収し、従来の自立ばかりを目標としない多様な生き方を許容する社会にすればいいと思う。

あわせて大学の講義課目の大幅な変更が必要だろう。アカデミックなものよりも実学的な職業訓練的な要素を増やして、大学を専門学校化すればいい。どうせ純粋に学問をしたくて大学に行っているわけでもないだろうし、明治時代の大学創設の精神からすれば社会で役立つ知識を学ぶことは大学の堕落とはいえないはずだ。

社会ではまるで役に立たない教養主義のために教育費をかけることになる現在の学校の体系はそれこそ社会の無駄というものだ。学校そのものが社会的弱者を育てている面は大きい。大学人の反省を促したい。