2005年06月05日

書評:猫町/萩原朔太郎

『猫町 他十七篇』(著者:萩原朔太郎,編集:清岡卓行,出版社:岩波文庫)

大正から戦前まで活躍した詩人、萩原朔太郎の散文詩、小説、随筆などの散文作品を集めている。巻末には清岡卓行(たかゆき)による長い解説がついている。

朔太郎の詩は気味の悪いイメージやネガティブな感情に彩られたものが多いが、この散文集もその傾向は強い。朔太郎はもともと精神的に病的な傾向があるようだ。そこに生活上の不幸が重なって「鬱」な世界を形成しているらしい。生活上の不幸と言っても、自らの怠惰、人間嫌い、消極的な態度が原因だ。

作品としては「猫町」「ウォーソン婦人の黒猫」などの小説はつまらなかった。むしろ散文詩の方が味わいがある。やはり詩人的な感性が強すぎて、というか構築的な書き方ができないために小説が小説として成り立たないのだろう。

詩としてのよさとは違うが、芥川と死について語った『詩人の死ぬや悲し』が印象に残ったので全文引用する。

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『詩人の死ぬや悲し』 萩原朔太郎

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟(しげき)し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞(はに)かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈(はげ)しく言つた。
 「著作? 名声? そんなものが何になる!」
 独逸(ドイツ)のある瘋癲(ふうてん)病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
 あの傲岸(ごうがん)不遜(ふそん)のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁(し)みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める為(ため)に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞(うつろ)な悲しいものであつたらう。
 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」
 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚(ばくりよう)たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷(とうごう)大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為(な)すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。
 それ故(ゆえ)に諺(ことわざ)は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善(よ)しと。だが我我の側の地球に於(おい)ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!

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朔太郎は成人しても親の厄介になりながら暮らしていた。結婚をしても収入が少なく、社会的責任を果たしているとはとても言えず、鬱屈した気持ちが長く続いた。やがて原稿がそこそこ売れるようになってからも、詩人としての自分の仕事に満足感はなかったようだ。なにしろその詩は非社会的で退廃的。彼には自分の詩がただ自分の心情を吐露するだけのものであるとの認識がある。朔太郎には「結局それがなんになる?」という虚無感が常に底流にあったようだ。そういう気持ちが端的に現われた作品なので引用した次第だ。

人が家族を大切にしたり、ナショナリズムに走ったり、あるいは歴史物を好きになる理由は、自分を超えるものへの一体感を感じることで虚無感から逃れることができるからだろう。朔太郎には家族愛もナショナリズムも歴史ヒーローへの憧憬もない。そういう意味では、孤独に一人立つ人という点で彼は近代の知識人の典型なのかもしれない。

「秋と漫歩」「老年と人生」のふたつの随筆も収録されている。かねてから思っていたが、朔太郎は随筆が面白い。詩的な表現をするよりも気持ちや考えをそのまま表した随筆の方が朔太郎と言う人を理解しやすいし、共感しやすい。荷風の小説よりも日記が面白いように、朔太郎は詩よりも随筆が面白い。それは彼らの人間像そのものが面白いからではないだろうか。それを面白いとおものは私の底流に虚無感があるからだろうか。

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