2005年06月25日

書評:幣原喜重郎とその時代/岡崎久彦

『幣原喜重郎とその時代』(著者:岡崎久彦,出版社:PHP研究所)


岡崎久彦氏による近代日本「外交官とその時代シリーズ」の第3弾。

本書では1911年の中国の辛亥革命から1931年の満州事変までの20年間をあつかっている。

幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は日本で初めて外交官試験を合格して外交官となった秀才。考え方も堅実でアングロサクソンを中心とする西洋列強の常識判断にそった英米協調派だ。

時代はと言うと、国際的には第一次世界大戦後、一転して軍縮の方向にあり、アメリカのウィルソン主義による外交上の理念や道徳性を重んじる傾向にかわりつつあった。国内的には大正デモクラシーによる政治的文化的安定期にあった。その意味で幣原は平和な時代に適合した外交官だった。

しかし、中国では反日侮日運動が高まり、排日的動きがさかんになる。これに反発する帝国主義的な国内世論や日本軍部は幣原の対中国内政不干渉姿勢を軟弱外交と批判する声が高まる。やがて軍部の計略により満州事変へと突入する。

日英同盟が終わり、かわりに結んだ日・英・米・仏による四カ国協定はやがて空洞化し、幣原が外務大臣をやめることでさらに英米とのむすびつきが弱まる。ウィルソン主義による国際的な状況の変化があるにもかかわらず、日本はあいかわらず中国対する帝国主義的な態度が捨てられない。これが次の時代の悲劇へとつながっていく。

歴史的な大きな事件がなくこれまでの3巻の中では一番退屈するが、大正デモクラシーへの高い評価と戦後デモクラシーとの連続性についての指摘は重要。そのあたりの文章だけでも読む価値はある。

あとがきから関連部分を引用しておく。

「こうした各種の偏向史観に加えて、占領軍史観というものがあると思う。歴史観というほど学問的なものではないが、明治以来大東亜戦争に至る日本の歴史はすべて悪であり、アメリカの占領と新憲法によって、日本は新たに生まれ変わり、善の道を歩むようになつたと教えようという、占領軍の政策によるものである。そもそも戦後日本のデモクラシーはライシャワーなどの進言により、占領軍が大正デモクラシーを復活させたものであるが、占領当局としては、この事実は伏せて、戦後のデモクラシーは、日本というまったく根のないところに占領軍によって新たにもたらされたものだと教えようとした。大正デモクラシーにはふれても、それは戦後の民主主義とは較べものにならないほど後れたものだったとの印象を与えようとした。
 これは、軍国主義時代の言論統制に優るとも劣らない厳しい占領軍の言論統制の下で、国民の中にかなり深く浸透した史観である。軍国主義時代の厳しい検閲は1938年(昭和13)の国家総動員法の頃から敗戦までの7年間と考えれば、占領は1945年から1952年までの七年間であるから、同じくらい強い影響を国民の中に残してもなんの不思議もない。その上、この日本の過去をすべて悪とする史観は、占領終了後も、今度は日本を弱体化させたままでいさせようというソ連、中国の共産側プロパガンダと、これを受けた日教組や、新聞・出版関係の労組によって維持されたので、軍国主義偏向よりももっと長い期間、国民に影響を及ぼしている。」

本書はどう歴史を見るか、どう記述するかという問題意識が極めて強い。上記引用箇所では歴史がゆがめられていることを危惧した筆者の執筆動機が語られており、力が入っている。あとがきだけでも読む価値はある。



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