2005年08月07日

書評:人生はゲームです/アルボムッレ・スナマサーラ

『人生はゲームです―ブッダが教える幸せの設計図』(著者:アルボムッレ・スナマサーラ,出版社:大法輪閣)


テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老の日本でのデビュー作(だと思う)。

本書は「こころ」とはどういうものかを説きながら仏教的な考え方、生き方を伝えている。ヴィパッサーナー瞑想の実践方法についてはあまり語られていない。基本的に実践よりも読み物として編集されているのが特徴だ。

タイトルの人生はゲームとはどういうことか。

人は死ぬ。しかし少しでも長生きしようとしている。つまり、人生は必ずゲームオーバーになるようにプログラムされたゲームであり、少しでも死ぬことを先に延ばしてみるゲームにすぎない。これがスマナサーラ長老の言うゲームの意味だ。いささか虚無的ではあるけれど、現実を冷静に見ればその通りだろう。

しかし、これを暗くとらえることはない。深刻にとらえるなとスマナサーラ長老は言う。楽しくゲームをすればいい、と。

「日本の現代社会にある問題のすべては、生きていることがすごく意味のあることだと思っていることにあります。(略)しかし、世の中にある知識、宗教、仕事、科学などはそのすべてが死ぬことを少しでも先に延ばすための仕掛けであって、ただのゲームなのです。ですから、仕事や子育て、家庭の問題、社会の問題などはただのゲームだと思って気楽にやればいのです。」

人間はいつも不安であり、「不安でない部分は何もないのですから、不安を消そうとしてもそれはまったく無意味で無駄な抵抗です。不安を消そうと思うと、生きることはさらに苦しくなりますから、ただその時々やるべきことを楽しく、しかも精一杯やることです。不安は決して消えませんので、すべてのことはゲームであって、成功しても失敗しても同じであると思えばいいのです。」

そして「クールこそ最高の心の状態である」という。「無常を知っている人は、どんなに幸福であってもクールなのです。また、不幸になったとしてもそのときもクールなのです。そのような人々は、死ぬときまで冷静で落ち着きがあり、ストレスもなくニコニコして生きていられます。」

日本人が「無常」と言うと、桜の花が散るのを見て悲しんだり、滅び行く平家に権力の果敢なさを思い、同情を寄せたりして情動的に反応することを指したりするが、本来はクールに物事を見ること。正しく実相を見て落ち着いていることこそ無常観なのだ。

またドゥッカ(Dukkha、苦)とは不満、苦しみ、不完全という三つの意味をもっていて、このドゥッカを認めることができれば、そこで真の幸福という概念が生まれるという。しかもこうも書いている。「もしもすべてのものは不完全であるという真理を素直に納得できるのであれば、ヴィパッサーナー修行をしなくてもいいのです。」

八正道は相互にかかわっていて、その1番目である「正見」が実現されれば、他も実現されるということらしい。しかし、たんに個人的な不満や恨み言ではなく、認識として正しく見ることはやはり難しいだろうと思う。自分なんかはちょっとしたことに一喜一憂してクールに物事を認識しつづけることはとてもできそうもない。

以上、心に残っていた部分を紹介した。

本書は日本仏教とは違うテーラワーダ仏教の入門書を探している人には最適な一冊だ。しかもあまり仏教くささがないので、人生論としてもおすすめだ。


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