2005年08月21日

書評:「裸のサル」の幸福論 /デズモンド・モリス

『「裸のサル」の幸福論』(著者:デズモンド・モリス,出版社:新潮社)


著者のデズモンド・モリスはイギリスの動物行動学者で、かつて『裸のサル』という著書で一世を風靡したことがある。この本の影響で、「パンツをはいたサル」とか「ケータイを持ったサル」とかのタイトルを真似て、柳の下のドジョウを狙う著書が跡を絶たない。

本書でモリス博士は、人間の幸福の源泉は複数あると認め、17個も並べている。「標的の幸福」「競争の幸福」「協力の幸福」「遺伝の幸福」「官能の幸福」「脳の幸福」「リズムの幸福」「痛みの幸福」「危険の幸福」「こだわりの幸福」「静寂の幸福」「献身の幸福」「消極的幸福」「化学的幸福」「ファンタジーの幸福」「可笑しさの幸福」「偶然の幸福」がそれだ。

これらの中でとりわけモリス博士が重視しているが「標的の幸福」であり、博士は狩猟を人間をサルから分かち、人間たらしめた本能と考えているらしい。そして現代生活についてこのように語る。「現代の我々の行動の多くは、原始時代の狩りの代償行為です。」「今日見られる不幸の大半は、人生の中でこうした『狩猟本能の充足』に類した活動が失われたところから生じていると信じています。」

なるほどね、と思う一方で、狩猟には男女ともに参加したのだろうかと言う疑問が残る。また、未開の人々の中には、植物採集を中心にしている人々もいるのだから、狩りを原始生活の基本と考えるのは一面的ではないかとの疑いもぬぐえない。

さらに言えば、狩猟がそんなに面白いものだったのだろうか、狩猟本能の充足はそれほど強いのだろうかとの疑問もある。ブッシュマンのような未開の人が獲物を延々と追いかけ続ける様子をドキュメンタリーで見たことがあるが、ちっとも楽しそうではなかった。ひたすら過酷な労働であるように見えた。

スポーツを狩猟の代償とする見方にも疑問がある。スポーツはむしろ戦いに本質があり、戦争の代償ではないのだろうか。モリス博士自身があげている「競争の幸福」にこそ分類されるべきだろう。

しかし、一番重要なものがどれかを決めることが本書の目的ではないので、それほど問題視する必要もないかもしれない。モリス博士の主張の第一は幸福の源泉は複数あるという事実にある。

「こうしたさまざまな形の幸福を検討することで私は、この最も価値のある心の状態を生み出す源泉は一つではなく、沢山あるのだということをお見せしようとしてきました。」

このことは朗報であるように見えるけれど、残念ながらモリス博士の結論は悲観的だ。「日々の仕事はあまりにも繰り返しが多く、想像力など必要としないので、幸福のためのいかなる可能性も提供してはくれません。(略)もし幸福の総量を増やしたいのならば、新しい仕事に就くか、幸福な瞬間は全て余暇活動の中に求めるしかありません。」

とはいえ、幸福の源泉は多い。「その他全ての幸福の源泉を精査してみることです。それまでには思いもつかなかった人生の領域に、幸福の豊かな鉱脈が眠っているかもしれません。」との言葉にはやはり真実はあるのではないだろうか。

もっとも、少欲知足をモットーとする仏教から見ると、このような人間は「心の刺激を求めるサル」ということになるのだが。


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