2006年08月13日

靖国神社問題:誰もが霊の存在を前提にする不思議

終戦の日が近づき、次期自民党総裁の話題とからめて、またしても「靖国問題」が浮上している。

以前、指摘したとおり、この問題のおかしさは議論の参加者全員が霊の存在を前提にしていることにある。合祀だの分祀だのばかげた話にみんなが乗っかっている。

中国のような唯物論の国も乗ってくるのはおかしなことだと常々思っていたら、こちらは江沢民の指示だったことが最近わかった。永久に歴史問題を指摘し続けよと江沢民が講演で語ったそうで、中国はあくまでも戦略的に対日本の攻めどころとして考えているらしい。(共産主義の国でも個人として霊を信じている人は多いと思うが)

そもそもなぜ霊なのか。

霊と戦争は結びつきが強い。戦争で死にたくない人に進んで死んでもらうにはそれなりの理屈が必要だ。そこで、あなたの霊は天国に行きますとか英霊となって神社に祭られますとか言うことで、死を怖がらずに戦ってもらうことにした。

そういう意味では、霊の存在を肯定することは、戦争肯定につながる道でもある。

私としては、霊をどう扱うかという不毛な議論をするよりも、歴史からどう学ぶかについての多くの議論を期待したいのだが、どうもそちらに向かいそうな気配はまるで感じられない。


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