2004年10月24日

書評:<パリ写真>の世紀

『<パリ写真>の世紀』(白水社、今橋映子)



パリを被写体とした写真の系譜を、文学、ジャーナリズム、モード(ファッション)、絵葉書との関連を含めて記述している。なかなかの力作だが、写真批評ではないし、写真の紹介でもないので、そのあたりを理解して読まないと肩透かしを食うかもしれない。

パリ写真はアジェが周縁的(マージナル)な事物を撮影したことをその始まりとする。当時の写真家がまだ地位も低く、外国人や女性でも参入できたために、パリの写真家には外国人、女性が多い。そんな彼らがよく被写体に選んだのが、古い町並み、屑屋、浮浪者、娼婦、貧困者たち。後年の絵葉書写真の甘い雰囲気とはだいぶ違う。

その後、さまざまな写真家や文学、雑誌のかかわりで新しいパリ写真が続々と登場する。その詳細は本書を読んでいただくとして、面白かったエピソードをいくつか拾ってみる。

エルスケンの『セーヌ左岸の恋』には、オランダ、ドイツ、イギリス、日本語版がある。オランダ語版がオリジナルでドイツ語版はその翻訳、それにたいしてイギリス版は内容に手を入れてある。たとえば最後の写真がカットされている。

それは女主人公アンからの手紙で、性病にかかったと知らせてきたものだ。だからあなたにもうつっているかもしれな、と主人公の写真家に知らせてきたのだ。「まー、いずれによせ、どうでも良いことだけれど。」がこの手紙の最後。なんとも投げやりだ。『セーヌ左岸の恋』というロマンチックなタイトルにそぐわない結末なのでイギリス版では削られたのかもしれない。

日本語版はイギリス版からの翻訳なのでこの部分がない。パリ、セーヌのイメージを壊さないためにはそれはそれでよかったのかもしれないが、この写真集(ストーリーっぽくなっている)は虚無的な世界を写しているので、そこだけ削っても仕様がない気はする。イギリス語版編集者の意図を聞いてみたいものだ。

それから、カルティエ=ブレッソンの『決定的瞬間』のフランス語版でのタイトル問題。これは「逃げ腰の映像」「逃げ去るイメージ」などと訳した例が知られているが、今橋が検討したところでは「不意に勝ち取られたイマージュ」が適訳であるらしい。序文の記述が「被写体への接近の仕方に何か非合法の匂いを漂わせている」こともその訳の正しさを証しているようだ。

しかし、これって「盗み撮り」「隠し撮り」によって得られたイメージってことじゃなかろうか。

それから言うまでもなく、ドアノーの「パリ市庁舎前のキス」はモデルを使った「やらせ」だ。それにまつわるエピソードも面白いのだが、私は売上げに関する数字が気になった。ドアノーはこの写真のオリジナルプリントを2万枚売ったそうだ。他に絵葉書2万枚、ポスター41万枚を売っている。複製芸術とはいえ、オリジナルが2万枚とはすごい。

資料を詳細に調べて書かれているので、細部の事実が面白い。なんとなく読むには分厚いし値段も高いが、パリ写真に関心があるなら一読の価値はある。

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