タイトル一覧

書評:SNS的仕事術 | 書評:招待状、届きましたか? SNSで始める新しい人脈づくり | 書評:病気にならない生き方 | 書評:人は食べなくても生きられる/山田 鷹夫 | 書評:若者が「社会的弱者」に転落する/宮本みち子 | 書評:グラマン戦闘機―零戦を駆逐せよ/鈴木五郎 | 書評:「裸のサル」の幸福論 /デズモンド・モリス | 書評:WindowsユーザーのためのDOS/コマンドプロンプト入門/米田聡 | 書評:きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記 | 書評:人生はゲームです/アルボムッレ・スナマサーラ | 書評:良寛に生きて死す/中野孝次 (後半) | 書評:良寛に生きて死す/中野孝次 (前半) | 書評:重光・東郷とその時代/岡崎久彦 | 書評:自分につよくなる サティ瞑想法/A・スマナサーラ | 書評:上座仏教 悟りながら生きる/アルボムッレ・スマナサーラ、鈴木一生 | 書評:「悩み」に負けない!/河野良和 | 書評:希望のしくみ/アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司 | 書評:幣原喜重郎とその時代/岡崎久彦 | 書評:さとりへの道 上座仏教の瞑想体験/鈴木一生 | 書評:初めての本 上座仏教/アルボムッレ・スナマサーラ | 書評:どうすれば最高の生き方ができるか/ノーマン・V・ピール | 書評:野鳥を呼ぶ庭づくり/藤本和典 | 書評:幸福の政治経済学/フライ、スタッツァー | 書評:読書のすすめ 第10集/岩波文庫編集部編 | 書評:猫町/萩原朔太郎 | 書評:小村寿太郎とその時代/岡崎久彦 | 書評:「旅情詩人 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」図録 | 書評:蒲団/田山花袋 | 書評:新東京百景 木版画集/恩地孝四郎 他 | 書評:ちくま日本文学全集 永井荷風 |

2007年01月17日

書評:SNS的仕事術



『SNS的仕事術 ソーシャルネットワーキングで働き方を変える!』(著者:鶴野充茂,出版社:ソフトバンク新書)

とても仕事ができる人が自分の名前をネットでさらして、オンラインとオフラインの境もなく人々とつながり、仕事のオンとオフの境もなく、ひたすら生活を仕事にささげる。そういうワークスタイルを前提に書かれています。

そういう覚悟さえあれば、著者の経験に裏打ちされたさまざまな体験談、アドバイスが参考になるでしょう。

どうすれば人と知り合えるのか。情報発信のコツはなにか。どうすれば関係を維持できるのか。いろいろ書かれていて、内容は薄くはないです。

SNSやブログで知り合った人と新しいプロジェクトを立ち上げたり、新しい仕事の展開を考えたい人に最適に一冊です。

私は匿名でいいです。仕事がらみじゃなくていいです。
  

2007年01月14日

書評:招待状、届きましたか? SNSで始める新しい人脈づくり



著者が詳しいのでアメリカのSNSの紹介が多い。あれこれと紹介はしてくれるが、具体性に乏しく面白みに欠ける。

国内はGREEの話ばかり。まえがきをGREEの社長が書いているためかmixiについてはまったく触れていない。mixiの人気が出る前とはいえそこそこの話題にはなっていたはずだが。

SNSを知らない人向けという姿勢が裏目に出ている。日本でSNSがはやりますよというノリが痛い。内容に重複多く、薄い。著者はただ情報通だというだけだ。

  

2006年12月19日

書評:病気にならない生き方



多くの種類がある酵素(エンザイム)には、その原型(著者はそれをミラクル・エンザイムと呼ぶ)があるのではないか。そのミラクル・コエンザイムをうまく体内に取り込み、浪費せずにいられれば、人は健康で長生きできる。というのが著者の主張。多くの臨床経験に基づいているのでそこそこ説得力があるが、証明されたわけではないし、統計処理もされていない。

具体的には以下のことを守るべきだという。

・植物食と動物食のバランスは、85(〜90)対(10〜)15とすること
・全体としては、穀物(雑穀、豆類を含む)を50%、野菜や果物を35〜40%、動物食は10〜15%とすること
・全体の50%を占める穀物は、精製していないものを選ぶこと
・動物食は、できるだけ人間よりも体温の低い動物である魚でとるようにすること
・食物はどれも精製していないフレッシュなものを、なるべく自然な形のままとるようにすること
・牛乳・乳製品はできるだけとらないこと(乳糖不耐症やアレルギー体質の人、牛乳・乳製品が嫌いな人は、いっさいとらないようにする)
・マーガリンや揚げものは避けること
・よくかんで小食を心がけること

  

2005年09月11日

書評:人は食べなくても生きられる/山田 鷹夫

『人は食べなくても生きられる』(著者:山田 鷹夫,出版社:三五館)


冒頭に人は食べなくても生きられることを自分自身を使って実験するようなことが書かれているが、実際にはそこまではやっていない。著者はなにかしら食べている。食事を減らしている段階ならば最初からそう書けばいいのに。

著者は「実験」と書いているが、ちっとも厳密じゃない。何をどのくらい食べたかの具体的な記述がない。たとえば一月の食事内容を数値をあげて示してくれてもよさそうなものなのに、すごく曖昧だ。食事を減らしても、途中から体重が落ちなくなるというが、これも具体的な数値がない。

ぜんたいに大言壮語、妄想の類が目立つ。ちっとも実験ではないし、タイトルに偽りはあるし、ひどい本だ。
  

2005年09月01日

書評:若者が「社会的弱者」に転落する/宮本みち子

『若者が「社会的弱者」に転落する』(著者:宮本みち子,出版社:洋泉社新書y)


若者がなかなか自立しない、大人にならない。そういう傾向が強まっていると著者は言う。就職、独立、結婚という従来の意味での自立が失われている背景には、労働の高度化および若者が正社員になりにくい雇用形態の変化、依存関係が長期化する親子関係の変化、子育てが苦役化する生活スタイルの変化などがある。そして大人とは何かを定義できない社会心理的状況が拍車をかける。

これらの問題があまり顕在化しない理由は、日本特有の親子関係にある。子どもがパラサイトしたまま家庭の中に囲われてしまっていて、表に問題が出てこないのだ。そんな状況を続けても問題が解決するわけはなく、社会に参画するチャンスが永遠に持てない膨大な層を生むことなるだけだ。

つまり社会全体が若者の自立を妨げ、その問題を隠蔽するように働いているわけで、なかなか解決策が見つけにくい状況であるようだ。

著者の提案は、「教育のコストを本人負担に」、「学生のアルバイトを職業につなげる」、「社会に若者を託すしくみや若者が自分を試す時期をつくる」の3つだ。

これらの提案はそれなりに有効かもしれないが、私としては、ワークシェアリングで若年労働力を吸収し、従来の自立ばかりを目標としない多様な生き方を許容する社会にすればいいと思う。

あわせて大学の講義課目の大幅な変更が必要だろう。アカデミックなものよりも実学的な職業訓練的な要素を増やして、大学を専門学校化すればいい。どうせ純粋に学問をしたくて大学に行っているわけでもないだろうし、明治時代の大学創設の精神からすれば社会で役立つ知識を学ぶことは大学の堕落とはいえないはずだ。

社会ではまるで役に立たない教養主義のために教育費をかけることになる現在の学校の体系はそれこそ社会の無駄というものだ。学校そのものが社会的弱者を育てている面は大きい。大学人の反省を促したい。
  

2005年08月27日

書評:グラマン戦闘機―零戦を駆逐せよ/鈴木五郎

『グラマン戦闘機―零戦を駆逐せよ』(著者:鈴木五郎,出版社:光人社NF文庫)


朝日テレビの「朝まで生テレビ」で太平洋戦争の元本兵を集めて語らせる企画が2回続けてあった。その中で印象に残ったのが、戦争中期以降はアメリカに制空権を握られたせいで一方的に攻撃をされることがしばしばであったという話だった。

私が子どものころ零戦とそのライバル機に興味を持ったことがあった。そのときの少ない知識によれば、グラマンの戦闘機の性能が上がったことが零戦の敗因だったはずだ。つまりアメリカの航空機テクノロジーに負けた、と。

そのことをもう少し詳しく知りたいと、零戦対グラマンの本を読んでみた。

ゼロ戦(アメリカ人も当時ゼロセンと発音していたそうなので、こう表記しよう)がグラマンF4Fワイルドキャットと戦っていた初期はゼロ戦がかなり有利であったそうだ。小回りがよく利くゼロ戦は相手の後ろに回りこむドッグファイトでは無敵と言ってよく、とりわけベテランパイロットの操縦によれば圧倒的に強かったという。

ところが、アメリカ軍はゼロ戦の不時着機をほぼ完全な状態で入手した。アメリカはゼロ戦のテスト飛行を繰り返し、データを取り、どこに長所があり、弱点があるかを知った。それからはワイルドキャットでの戦い方を変えた。つねに2機が組んでゼロ戦に対抗し、一機の後ろをもう一機が守備することにした。つまりワイルドキャットの後ろにゼロセンが回り込めばその後ろにもう一機が入って攻撃すると言うことだ。

この戦術によりワイルドキャットは対ゼロ戦の戦績を好転することができた。もちろん戦闘機の数が多いから、この戦術も可能だったわけで、その背景にはアメリカの圧倒的な工業生産力があり、また空母の上により多くの機体を載せることができる折りたたみ式の翼の開発があった。

ゼロ戦のほぼ2倍の馬力を持つエンジンを搭載したF6Fヘルキャットが登場すると、対ゼロ戦の戦績はさらに向上する。戦術的にもスピードとパワーを生かしたヒット&アウェイ戦法(一撃離脱)でドッグファイトを回避することができた。グラマンヘルキャットはゼロ戦より高い位置から高速でゼロ戦にアタックして、そのまま高速で逃げていく。低速での旋回性能を生かした敵の後ろの回りこむ戦いには応じずに自分の有利な戦いだけをすれば負けるわけがない。

さらにテクノロジーの違いを挙げれば、機銃の性能がまるで違った。ゼロ戦の機銃は初速が遅くて弾道が定まらず命中率が低い。一方、アメリカの機銃は高速でよく当たった。

操縦士に対する考えも飛行機の設計の違いとしても現われている。ゼロ戦は防弾能力が低く、機体を簡単に通過した弾丸が操縦士に当たってしまうし、燃料に火をつけてしまう。一方、ヘルキャットは防弾能力が高く、操縦士を撃つのは困難だった。燃料タンクはゴムで包んであり、燃料漏れがしにくかった。そのためゼロ戦が撃ってもなかなか落ちなかったと言う。

ゼロ戦が時代遅れになり、勝てなくなったのなら、新しい戦闘機を作ればいいのだが、残念ながらその開発は遅く、名機と言われる紫電改が登場した頃はすでに日本は国力が消耗しており、アメリカの物量にただただ圧倒されたのだった。

ちなみに以上はすべて海軍の話であり、陸軍を中心にするとまた違う戦闘機の開発の話になるのだろう。

今の日本では兵器を通して戦争を見るというと不謹慎の謗りをまぬがれないが、戦争は戦闘行為があっての戦争なのだから、兵器を抜きにした戦争の話はかえって間が抜けているような気がする。いかに日本が負けたのかを戦闘機開発という視点から見てみるのはかえって新鮮ではないだろうか。
  

2005年08月21日

書評:「裸のサル」の幸福論 /デズモンド・モリス

『「裸のサル」の幸福論』(著者:デズモンド・モリス,出版社:新潮社)


著者のデズモンド・モリスはイギリスの動物行動学者で、かつて『裸のサル』という著書で一世を風靡したことがある。この本の影響で、「パンツをはいたサル」とか「ケータイを持ったサル」とかのタイトルを真似て、柳の下のドジョウを狙う著書が跡を絶たない。

本書でモリス博士は、人間の幸福の源泉は複数あると認め、17個も並べている。「標的の幸福」「競争の幸福」「協力の幸福」「遺伝の幸福」「官能の幸福」「脳の幸福」「リズムの幸福」「痛みの幸福」「危険の幸福」「こだわりの幸福」「静寂の幸福」「献身の幸福」「消極的幸福」「化学的幸福」「ファンタジーの幸福」「可笑しさの幸福」「偶然の幸福」がそれだ。

これらの中でとりわけモリス博士が重視しているが「標的の幸福」であり、博士は狩猟を人間をサルから分かち、人間たらしめた本能と考えているらしい。そして現代生活についてこのように語る。「現代の我々の行動の多くは、原始時代の狩りの代償行為です。」「今日見られる不幸の大半は、人生の中でこうした『狩猟本能の充足』に類した活動が失われたところから生じていると信じています。」

なるほどね、と思う一方で、狩猟には男女ともに参加したのだろうかと言う疑問が残る。また、未開の人々の中には、植物採集を中心にしている人々もいるのだから、狩りを原始生活の基本と考えるのは一面的ではないかとの疑いもぬぐえない。

さらに言えば、狩猟がそんなに面白いものだったのだろうか、狩猟本能の充足はそれほど強いのだろうかとの疑問もある。ブッシュマンのような未開の人が獲物を延々と追いかけ続ける様子をドキュメンタリーで見たことがあるが、ちっとも楽しそうではなかった。ひたすら過酷な労働であるように見えた。

スポーツを狩猟の代償とする見方にも疑問がある。スポーツはむしろ戦いに本質があり、戦争の代償ではないのだろうか。モリス博士自身があげている「競争の幸福」にこそ分類されるべきだろう。

しかし、一番重要なものがどれかを決めることが本書の目的ではないので、それほど問題視する必要もないかもしれない。モリス博士の主張の第一は幸福の源泉は複数あるという事実にある。

「こうしたさまざまな形の幸福を検討することで私は、この最も価値のある心の状態を生み出す源泉は一つではなく、沢山あるのだということをお見せしようとしてきました。」

このことは朗報であるように見えるけれど、残念ながらモリス博士の結論は悲観的だ。「日々の仕事はあまりにも繰り返しが多く、想像力など必要としないので、幸福のためのいかなる可能性も提供してはくれません。(略)もし幸福の総量を増やしたいのならば、新しい仕事に就くか、幸福な瞬間は全て余暇活動の中に求めるしかありません。」

とはいえ、幸福の源泉は多い。「その他全ての幸福の源泉を精査してみることです。それまでには思いもつかなかった人生の領域に、幸福の豊かな鉱脈が眠っているかもしれません。」との言葉にはやはり真実はあるのではないだろうか。

もっとも、少欲知足をモットーとする仏教から見ると、このような人間は「心の刺激を求めるサル」ということになるのだが。
  

2005年08月16日

書評:WindowsユーザーのためのDOS/コマンドプロンプト入門/米田聡

『WindowsユーザーのためのDOS/コマンドプロンプト入門―Windows98/Me/2000/XP対応』(著者:米田聡,出版社:ソフトバンクパブリッシング)


仕事の関係でWindows XPのコマンドプロンプトについて調べる必要があったので、関連本を何冊か見た。DOS時代からWindows95-98を経て現在のXPへとDOSの扱いがどう変化したのかをきちんと押さえた上で、わかりやすく書いてあり、自分にとってはこれが一番だった。ただし、昔からDOSを知っている人にとってわかりやすいのであって、まったくの初心者向けではないので、ご注意を。

以下は本書の紹介というよりコマンドプロンプトについて。

XPでは98みたいにDOSモードはないし、Windowsの起動前にDOSみたいなものが動いたりもしない。だからメニューはDOSプロンプトではなくコマンドプロンプトになっているのだろう。そういう意味では本質的にDOS的世界とは決別している。

しかし、かつてのDOSユーザーへの配慮も忘れていない。COMMANDというプログラムを実行させると16ビットDOS互換モードになる。どこまでDOSプログラムが動くかはわからないが、ないよりはあったほうがいいのは言うまでもない。

コマンドプロンプトになってCUIは使いやすくなった。CMD(コマンドプロンプトを実行すると動くプログラム)は便利だし、おもにネットワーク関係になるが使えるコマンド類も多い。XPのコマンドプロンプトは使う気になればけっこう使える。DOSというより、DOS的なCUIという位置づけなのかもしれない。

個人的にはほとんど使わないけど…。

読書量が激しく減っているのでこんなのもとりあげたりして。さみしいな。
  

2005年08月12日

書評:きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記

『きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記 ワイド版岩波文庫』(編集:日本戦没学生記念会 , わだつみ会,出版社:岩波書店)


通常の文庫版はこちら

太平洋戦争で亡くなった若い人たちの手記、日記、手紙などを集めた文集。大学を卒業後、もしくは在学中に召集されて戦地に赴いた若者が死を前にして何を考えていたかを知るよい資料だ。

しかし、あとがきにあるように、出版直後から編集方針に偏りがあるとの指摘がなされていたらしく、いささか反戦的な気分で彩られている。本当はもっと軍国主義的な記録があったのではないか。日本の正当性を主張するような手記が実際には書かれていたのではないか。そう思わせるほど、冷静な文章が多い。

自分を学究の徒としてとらえ、学問への意欲を語る文章が多いのも特徴だ。今の大学生がただ学歴のために大学へ行くのとは違って当時は選ばれた人たちだけが大学へ行っていたことが学生自身の意識にも深く刻まれていて、いかにも「戦没学生」的な雰囲気を保っている。

その反映だろう。文章の表現も硬い。観念的といってもいい。これは昔の学生の一般的傾向だろう。それと関連があるのだが、理想主義的でもある。自分の行き方を全うしたい、意義のある死を迎えたい、立派に死にたいという思いが随所に表現されている。裏を返せば、無意味な死を恐れる気持ちの現われだろう。無駄死にではないのだと思いたいのだ。それが様々な表現で語られている。その苦悶が痛々しい。

意外だったのは予想したよりも感動的ではないことだ。死を前にと言っても、実際に死ぬ直前の気持ちが書かれている手記は多くない。戦地にあっても本当に自分は死ぬのだろうかという不思議な感覚を語ったりして、むしろテレビドラマで描かれる戦場の方が劇的かもしれない。実際に死ぬ直前に手記を書くことなど滅多にないだろうから、当たり前と言えば当たり前だ。

とはいえ、特攻に行く前に書かれた手紙や戦犯として処刑される前に書かれた手記などはさすがに胸に迫るものがある。しかし、
その場合でも取り乱したところはない。そのときの真情を正直に語っているにしても、なかなかきちんとした文章で書かれていて、立派なものだと感心した。

どのような動機で読むか、どう評価するかはさておき、一度は読んでおきたい貴重な記録だ。
  

2005年08月07日

書評:人生はゲームです/アルボムッレ・スナマサーラ

『人生はゲームです―ブッダが教える幸せの設計図』(著者:アルボムッレ・スナマサーラ,出版社:大法輪閣)


テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老の日本でのデビュー作(だと思う)。

本書は「こころ」とはどういうものかを説きながら仏教的な考え方、生き方を伝えている。ヴィパッサーナー瞑想の実践方法についてはあまり語られていない。基本的に実践よりも読み物として編集されているのが特徴だ。

タイトルの人生はゲームとはどういうことか。

人は死ぬ。しかし少しでも長生きしようとしている。つまり、人生は必ずゲームオーバーになるようにプログラムされたゲームであり、少しでも死ぬことを先に延ばしてみるゲームにすぎない。これがスマナサーラ長老の言うゲームの意味だ。いささか虚無的ではあるけれど、現実を冷静に見ればその通りだろう。

しかし、これを暗くとらえることはない。深刻にとらえるなとスマナサーラ長老は言う。楽しくゲームをすればいい、と。

「日本の現代社会にある問題のすべては、生きていることがすごく意味のあることだと思っていることにあります。(略)しかし、世の中にある知識、宗教、仕事、科学などはそのすべてが死ぬことを少しでも先に延ばすための仕掛けであって、ただのゲームなのです。ですから、仕事や子育て、家庭の問題、社会の問題などはただのゲームだと思って気楽にやればいのです。」

人間はいつも不安であり、「不安でない部分は何もないのですから、不安を消そうとしてもそれはまったく無意味で無駄な抵抗です。不安を消そうと思うと、生きることはさらに苦しくなりますから、ただその時々やるべきことを楽しく、しかも精一杯やることです。不安は決して消えませんので、すべてのことはゲームであって、成功しても失敗しても同じであると思えばいいのです。」

そして「クールこそ最高の心の状態である」という。「無常を知っている人は、どんなに幸福であってもクールなのです。また、不幸になったとしてもそのときもクールなのです。そのような人々は、死ぬときまで冷静で落ち着きがあり、ストレスもなくニコニコして生きていられます。」

日本人が「無常」と言うと、桜の花が散るのを見て悲しんだり、滅び行く平家に権力の果敢なさを思い、同情を寄せたりして情動的に反応することを指したりするが、本来はクールに物事を見ること。正しく実相を見て落ち着いていることこそ無常観なのだ。

またドゥッカ(Dukkha、苦)とは不満、苦しみ、不完全という三つの意味をもっていて、このドゥッカを認めることができれば、そこで真の幸福という概念が生まれるという。しかもこうも書いている。「もしもすべてのものは不完全であるという真理を素直に納得できるのであれば、ヴィパッサーナー修行をしなくてもいいのです。」

八正道は相互にかかわっていて、その1番目である「正見」が実現されれば、他も実現されるということらしい。しかし、たんに個人的な不満や恨み言ではなく、認識として正しく見ることはやはり難しいだろうと思う。自分なんかはちょっとしたことに一喜一憂してクールに物事を認識しつづけることはとてもできそうもない。

以上、心に残っていた部分を紹介した。

本書は日本仏教とは違うテーラワーダ仏教の入門書を探している人には最適な一冊だ。しかもあまり仏教くささがないので、人生論としてもおすすめだ。
  

2005年07月31日

書評:良寛に生きて死す/中野孝次 (後半)

『良寛に生きて死す』(著者:中野孝次 北島藤郷,出版社:考古堂書店)


中野氏がはじめて医師に食道ガンを宣告されたのが、2004年2月12日。当初、自宅にいて療養していたが、体の衰弱が激しく、家人にも負担がかかるという理由もあり、3月になって入院を決意し、放射線照射、抗がん剤投与の治療を受けることにした。

友人の上田茂氏にあてた『入院を知らせる手紙』にはこうある。「今度のことで、セネカの教えが一番役に立った。比較的平静に事態を受け入れられたのは、セネカによる。
(略)気持ちは元気で晴れやかだから、安心を乞う。」(2004年3月12日付)

つねに死を思えと書いていた中野氏らしく平静な心境であることに思想の強さを感じる。

しかし、次の『信頼する友へ』ではこうなる。「こないだは折角来てくれたのに邪険に扱って悪かった。入院直前でやはり気が立っていたんだろう。」(2004年3月21日付)

さすがの中野氏も死を前にして心はふさいでいたらしい。平静であったのは最初だけで肉体の衰弱は進む一方で、病院から戻れないだろうとの不安もあったろう。前の手紙の言葉が嘘であったと言うつもりはない。心は変化するのだ。

闘病生活1ヶ月。その経過を知らせる『闘病、そして小康』という手紙では「内視鏡検査では、すでにガンは消えている。」と報告している。その後、3ヶ月ほどで亡くなったことを知っている者としてはどういう意味なのだろうといぶかる。医師が嘘をついている可能性は高い。ガンがあちこちに転移していて、手の施しようもないのかもしれない。

しかし、中野氏は医者の言葉を信じていたらしく、次のように書いている。

「とにかく根治可能ということで、死から生還したような気がしている。十六日、君に会ったころには、必ず死ぬと覚悟していたからね。」(2004年4月17日付)

やはり生きたい思い、根治可能の言葉を信じたい気持ちが強かったのかもしれない。

本書に公開されている手紙はここまでだ。

五月に退院予定と思っていた氏は五月頃にはどういう心境になっていたのだろうか。残酷ではあるが、やはり中野氏の最後を知りたいと思う。この後、もう何も書いていないかもしれないが、もし記録があれば公開を望みたい。氏の幾つかの作品、とりわけセネカ関連の2冊から感銘を受けた者として、その思想と生活の最期。究極のところを知りたい気持ちは禁じがたい。
  

2005年07月29日

書評:良寛に生きて死す/中野孝次 (前半)

『良寛に生きて死す』(著者:中野孝次 北島藤郷,出版社:考古堂書店)


昨年の7月に食道がんで亡くられた中野孝次氏の遺作集。といっても最晩年に書かれたものはほんのわずかで、多くはそれまで雑誌などに書かれた良寛に関するエッセイだ。他に『新潟の文化を考えるフォーラム』の記録。こちらも良寛をテーマにしている。

正直言って、これらの作品はあまり面白くなかった。私が良寛をよく知らないこともあるが、内容的にも過去の著作に重複していて刺激がなかった。氏の良寛を見る視線には仏教的な切込みが不足しているので、思想的に浅い。短いエッセイということで単発的な軽い読み物風のものが多い。

このような半端なものを作ってしまったのは、無理やり一冊にまとめるためにあちこちから文章を集めた編集者の責任だろう。

本の最後に入院を知らせる手紙や闘病中の手紙が3通と遺言書が掲載されている。私は中野氏がどのように死を迎えたのかを知りたかったので、興味の焦点はこちらにある。

残念ながらと言うのもおかしいが、この遺言書は死の1年半ほど前にかかれたものなので実際に強く死を意識している時期のものではない。

遺書の最初に、葬式を密葬にと言っているが、有名人の死はマスコミに出るのは必定で、さほど意味のあることでもないような気がする。

子どものいない中野氏は財産をすべて夫人に残すとしていて、夫人の死後は慈善団体の中野基金に譲渡するとしている。奥さんに遺産を残すのは普通のことだが、良寛云々と言っている人にしては執着を残しているなあと思う。

著作権に関しては神奈川近代文学館に委ね、同館の特別運動資金とすることともあり、この点は偉いと言えそうだ。

遺言の最後のほうに「予を偲ぶ者あらば、予が著作を見よ」とあるが、これも見ようによっては激しい執着ではないだろうか。良寛的とはいえない。

遺言に比べるとガンが発見されてからの3通の手紙の方はリアル感がある。

長くなるので、後半に続く。

  

2005年07月26日

書評:重光・東郷とその時代/岡崎久彦

『重光・東郷とその時代』(著者:岡崎久彦,出版社:PHP研究所)


岡崎久彦の日本外交史シリーズの4冊目。

時代的には満洲事変から真珠湾、敗戦までを扱っている。しかし、軍部、政治家が記述の中心であり、外交の出る幕はあまりない。世論を挙げてのナショナリズムが戦争への一本道へと突き進んでいく。

一般に軍部の暴走ということを言うが、当時は世論が右傾化していた。そういう背景があってこその軍部の暴走なのだ。また軍部は上意下達となっていなかったのも注意すべき点だ。過激な思想を持ち、手柄を立てようとする若手が中国で勝手に戦闘をはじめたりしていた。現場の若手が下克上によって軍全体を引きずっていたのが実情のようだ。

強いリーダーシップが取れる政治家もいなかった。一方戦略のないバカな者は多くいて、松岡洋右(まつおかようすけ)のようなどうしようもない小人物が勝手に国際連盟を脱退したり、三国同盟を結んだりする。

太平洋戦争を「自存自衛のための戦争」と見る見方もあるようだが、基本的には「欲をかきすぎた」のではないだろうか。満州だけで満足していればさして問題はなかったのに、いくつもの戦争戦闘で勝ち続けていた日本はただひたすら国土を拡張し、植民地化をすすめようとしていた。

資本主義対資本主義の戦争として日米を戦争に導こうとする共産勢力の陰謀もけっして少なくない影響を与えている。日本が対米戦争を決意する原因となるハル・ノートを起案したのがソ連のスパイであったホワイト財務次官であったというのだ。この事実には驚いた。日本にはゾルゲがいたし、おそるべしソ連。

太平洋戦争で評価が難しいのが、「アジアの開放」だ。一方で帝国の拡大を目指す日本が同時に大東亜共栄圏を謳い、アジアの開放を実現しようとした。日本に有利な共栄圏ではあるが、宗主国の軍隊を追い払い、アジアの人々に教育をし、武器の使い方を教え、結果的にはアジアの開放を早めたことは間違いない。戦勝国からは否定的に見られがちなアジアの開放だが、明治以来の日本のテーマでもあり、他にも本を読んで追いかけたい。

本書は正直言って読みにくい。登場人物が多く、扱う事象が多く、それぞれに十分な説明がされているわけでもない。入門書とはとても言えない。しかし、読み通す覚悟があれば半端な本を何冊も読むよりもこれ一冊にぶち当たった方がいいのではないだろうか。条件付でお薦めする。

  

2005年07月17日

書評:自分につよくなる サティ瞑想法/A・スマナサーラ

『自分につよくなる サティ瞑想法 シリーズ自分づくり”釈迦の瞑想法”3』(著者:A・スマナサーラ,出版社:国書刊行会)


スマナサーラ長老による「ヴィパッサーナ瞑想法」の解説本だ。

前半は方丈記のように物質的生活を批判するエッセイ風。これがなかなか面白い。私たちの虚妄の生活を暴いていくのは、スマナサーラ長老に特徴的な語りであるようだ。原始仏教に本来ある傾向を現代に生活にそくしてより印象的に強く語っている。

そして物質的生活から脱する方法としてサティの重要性が語られ、後半では具体的な瞑想の方法が説明されている。

せっかく何冊かの本を読んだので、なぜサティが必要かをまとめておこう。

人間の苦の原因には、むさぼり、怒り、無知がある。それによって心が汚れて人は苦しむ。しかし、実際には他にも心を汚す原因はあって、14の不善心所(こころを汚す原因)があるとされている。最初にあげた、むさぼり、怒り、無知はその中の代表的な3つである。

これらの心を汚す原因をなくして、心を清らかにすることで人は苦を脱することができる。具体的にはヴィパッサナー瞑想法の実践によってそれが可能なのだ。

心の汚れは余計なこと間違ったことを考えることによってもたらされる。そもそも人間の考え見解はほとんどが間違っている。偏見に過ぎないというのが、仏教の考えだ。人間は妄想、妄念、間違った見解のかたまりであり、無明(根本的な無知)の中にいると見ている。

反対に、余計なこと無駄なことを考えないことが心の汚れを取ることになり、苦を滅してくれることになる。

しかし、考えないと言っても、ぼーっとしていることがすすめられているのではない。今現実に起こっていることを「明確に区別して、詳しく観察すること=ヴィパッサナー」によって心の汚れが払い、心を清くすることができるのだ。「今ここ」に集中して生きることこそが、無駄なことを考えないことであり、知恵によって生きることにつながる。

そのヴィパッサナーの中でもサティが重要な役割を果たしている。

サティとは、「気づき」のことで、自分が今現在行なっている行為を意識すること、自覚することだ。歩いていて右足が動かしているなら「右」と頭の中で言い、左足を動かしているなら「左」と言う。立っているときなら、「立ってます」と言い、なにかが聞こえてきたら「音」と頭の中で言い、痛みがあれば「痛み」と言う。つまり言葉によってラベリングをすることで気づくことがサティである。

ヴィパッサナーには集中的に行なう実践として「歩く瞑想」「座る瞑想」「立つ瞑想」があり、その日常生活への応用としてサティを実践ことも可能だ。

サティについては『四念処経』というお経で述べられているそうだ。原始仏教のパーリ語からの翻訳シリーズいくつか出ているようなので、一度読んでみたい。しかし、翻訳の問題はなかなか複雑であるようだ。例えば本書ではこんな例が語られている。

パーリ語のアッパマーダ(Appamada)は通常「不放逸」と訳されているが、スマナサーラ長老によれば「はっきり物ごとを知っている状態、サティがあること」だそうだ。

「ですからお釈迦さまの遺言をパーリ語から直訳しますと『サティをもってがんばりなさい、自分に気づくことに一生精進して下さい』という意味になるのです。日本語では『放逸ならずして、おこたらず精進せよ』と訳されているとおもいますが、少しニュアンスが違います」

パーリ語からの翻訳だからと安心してもいられない。やはり独学の難しい世界であるようだ。

本書はコンパクトで読みやすく内容も面白い。シリーズの他のも読んでみる予定だ。
  

2005年07月03日

書評:上座仏教 悟りながら生きる/アルボムッレ・スマナサーラ、鈴木一生

『上座仏教 悟りながら生きる』(著者:アルボムッレ・スマナサーラ,鈴木一生,出版社:大法輪閣)


テーラワーダ仏教の本。スマナサーラ長老と鈴木一生の共著。

スマナサーラ長老にはスマナサーラ節とでも言うべき独特の話術、文体があるのだが、この本ではそれは抑えられている。鈴木氏が文体を整備し、統一しているらしく、文章的にやや個性のないものとなっているのが残念。私は日本テーラワーダ仏教協会のサイトに掲載されている『根本仏教講義』を少しずつ読んでいるところなので、そちらの方が面白く感じてしまう。なにしろそちらはスマナサーラ節が炸裂しているのだ。

内容的には一般向けの入門用なのですでにテーラワーダ仏教の本を読んだ人にはちょっと退屈な部分が多いかもしれない。もちろん最初に読むのならこれでもOK。

ただし、この本における転生について記述はまったく納得できるものではない。そもそもテーラワーダ仏教では自分で検証確認できないものを信じるなという釈尊の言葉を強調するのだが、転生はその検証確認などできるものではない。それをいくら理屈で語っても無理と言うもの。

たしかに『スッタ・ニパータ』や『ダンマパダ』のような原始仏典には輪廻転生に関する話題が出てくる。しかし、輪廻と解脱は当時のインド思想であり、釈尊もまたそこから自由ではなかった。そう私は理解している。

転生も含めて死後のことは「無記」でいいのではないだろうかと私は思う。『マールンキヤ小経』には釈尊が世界のあり方や霊魂や死後の生などの形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ったことも書かれている。

テーラワーダ仏教では転生は死後のことではないという。こころのエネルギーが別の生へと転生するのだという。だから矛盾はしないというのだろうが、私から見れば屁理屈でしかない。経験的には「わからない」というしかない問題だ。やはり輪廻についての記述は眉に唾して読むのがいい。
  

2005年07月02日

書評:「悩み」に負けない!/河野良和

『「悩み」に負けない!』(著者:河野良和,出版社:PHP研究所)


タイトルから推測すると安っぽい人生論のように思えるが、じつは催眠の専門家による心理療法の本。

著者によると人間の感情は出来事に反応して生まれる一次感情とその感情に対して反応して生まれる二次感情からなっているという。一次感情が不快なものであると人はそれを嫌なものだと考え、その感情からなんとか逃げたいという二次感情を持ってしまう。じつはこれが人間の心を不安定にする大きな原因となっている。

たとえ一次感情が不快なものであっても、その感情を落ち着いた気持ちでじっと眺めてみるとさほど嫌な感情ではないことが多いし、さらに自分の感情を眺めていると、一次感情もおさまってきて、不快さはなくなる。

もし、感情を眺めてもやはり不快であるというのであれば観察をやめて、感情を分断することで不快さが増大するのを抑えることができる。

自分の心を観察するところからこの方法は「感情モニタリング」と呼ばれる。クリシュナムルティの受動的自己凝視に似ているが、こちらの方がより詳細に分析されているし、理論化もされているし、実践的だ。

自分の感情に振りまわされずに観察をするという点ではテーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想も同様だ。ということは、ヴィパッサナー瞑想には感情モニタリングの効果も含まれていると考えてもいいだろう。

また、暗示という面から見た「言葉」や「思い」の重要さも指摘されている。その部分がテーラワーダ仏教の慈悲の瞑想などの理論的説明ともなっていて、テーラワーダ仏教や精神的指導者たちの教えを科学的に理解するためにも読んでみる価値はある。

(とっても、本書にクリシュナムルティやテーラワーダ仏教との関連が指摘されているわけではない。私が勝手に関連付けて読んでいるだけだ。)

感情モニタリングの本は以前にも読んだことがある。『触感刺激法で性格が変わる』(大和田二郎、ノンブック)という本だ。ちょっと不快なこと、気になることがあるときに試したことがあるが、じっさいに効果があった。そういう経験があったので、より詳しいことが書いてある本書を読んでみたのだ。

実際、本書の方が理論的な説明が多いので納得できるし、重要ポイントもよくわかる。「こころ」に興味がある人全般におすすめのしたい。
  

2005年06月28日

書評:希望のしくみ/アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

『希望のしくみ』(著者:アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司,出版社:宝島社)


じつは期待していなかった。インターネットの書評で内容がよくないと書いてあるのを見たからだ。読んでみて、まさにその通りだった。

スマナサーラ長老と養老孟司が対談する場面があまりに少ない。編集者がなにか質問して答える形式がこの本の基本形なのだが、編集者とスマナサーラ長老、編集者と養老孟司というやりとりが多すぎる。これではなんのための対談なのかわからない。

ふたりのやりとりも短く、あまり内容に踏み込んだりしないし、議論などはまったくない。お互い同意があるというか理解しあっているようではあるけれど、話が膨らまないのでは対談としては面白くない。

よっぽどの理由がないのなら、読まないほうがいい。
  

2005年06月25日

書評:幣原喜重郎とその時代/岡崎久彦

『幣原喜重郎とその時代』(著者:岡崎久彦,出版社:PHP研究所)


岡崎久彦氏による近代日本「外交官とその時代シリーズ」の第3弾。

本書では1911年の中国の辛亥革命から1931年の満州事変までの20年間をあつかっている。

幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は日本で初めて外交官試験を合格して外交官となった秀才。考え方も堅実でアングロサクソンを中心とする西洋列強の常識判断にそった英米協調派だ。

時代はと言うと、国際的には第一次世界大戦後、一転して軍縮の方向にあり、アメリカのウィルソン主義による外交上の理念や道徳性を重んじる傾向にかわりつつあった。国内的には大正デモクラシーによる政治的文化的安定期にあった。その意味で幣原は平和な時代に適合した外交官だった。

しかし、中国では反日侮日運動が高まり、排日的動きがさかんになる。これに反発する帝国主義的な国内世論や日本軍部は幣原の対中国内政不干渉姿勢を軟弱外交と批判する声が高まる。やがて軍部の計略により満州事変へと突入する。

日英同盟が終わり、かわりに結んだ日・英・米・仏による四カ国協定はやがて空洞化し、幣原が外務大臣をやめることでさらに英米とのむすびつきが弱まる。ウィルソン主義による国際的な状況の変化があるにもかかわらず、日本はあいかわらず中国対する帝国主義的な態度が捨てられない。これが次の時代の悲劇へとつながっていく。

歴史的な大きな事件がなくこれまでの3巻の中では一番退屈するが、大正デモクラシーへの高い評価と戦後デモクラシーとの連続性についての指摘は重要。そのあたりの文章だけでも読む価値はある。

あとがきから関連部分を引用しておく。

「こうした各種の偏向史観に加えて、占領軍史観というものがあると思う。歴史観というほど学問的なものではないが、明治以来大東亜戦争に至る日本の歴史はすべて悪であり、アメリカの占領と新憲法によって、日本は新たに生まれ変わり、善の道を歩むようになつたと教えようという、占領軍の政策によるものである。そもそも戦後日本のデモクラシーはライシャワーなどの進言により、占領軍が大正デモクラシーを復活させたものであるが、占領当局としては、この事実は伏せて、戦後のデモクラシーは、日本というまったく根のないところに占領軍によって新たにもたらされたものだと教えようとした。大正デモクラシーにはふれても、それは戦後の民主主義とは較べものにならないほど後れたものだったとの印象を与えようとした。
 これは、軍国主義時代の言論統制に優るとも劣らない厳しい占領軍の言論統制の下で、国民の中にかなり深く浸透した史観である。軍国主義時代の厳しい検閲は1938年(昭和13)の国家総動員法の頃から敗戦までの7年間と考えれば、占領は1945年から1952年までの七年間であるから、同じくらい強い影響を国民の中に残してもなんの不思議もない。その上、この日本の過去をすべて悪とする史観は、占領終了後も、今度は日本を弱体化させたままでいさせようというソ連、中国の共産側プロパガンダと、これを受けた日教組や、新聞・出版関係の労組によって維持されたので、軍国主義偏向よりももっと長い期間、国民に影響を及ぼしている。」

本書はどう歴史を見るか、どう記述するかという問題意識が極めて強い。上記引用箇所では歴史がゆがめられていることを危惧した筆者の執筆動機が語られており、力が入っている。あとがきだけでも読む価値はある。

  

2005年06月22日

書評:さとりへの道 上座仏教の瞑想体験/鈴木一生

『さとりへの道 上座仏教の瞑想体験』(著者:鈴木一生,出版社:春秋社)


著者は日本テーラワーダ仏教協会の創設者。

著者は最初会社経営者でまったくの無宗教だったのが、ひょんなことから仏教に触れ、のめり込み、日本仏教の僧侶の資格を取るまでになる。しかし、日本人の上座仏教の比丘(男性出家信者)にであうことで上座仏教の関心を持ち、ミャンマーで修行をするようになる。

その修行の過程で邪魔になったのがそれまでの、法華経こそ最高の教え、大乗仏教はすばらしいという偏見だった。どうしてもそれまでの仏教知識に照らし合わせたり、大乗的に解釈したりしてしまうらしい。何も知らずに最初から上座仏教に入ればおそらくすっと理解できるものでもそれまで真実と思い込んでいた考えがかたくなに抵抗をしてしまう。

瞑想は精神統一をしなければならないものという思い込みもヴィパッサナー瞑想には邪魔になった。精神統一する瞑想はサマタ瞑想と呼ばれていて、ヴィパッサナー瞑想とは種類が違うので精神統一にこだわるとうまくいかない。

著者の場合、自分の体験知識が人並み以上であることがわざわいし、さらにミャンマーで通訳のいない状態での修行が指導者との意思の疎通を欠くことになってしまい、無駄な時間を費やしてしまったようだ。しかし、大乗仏教の知識を持ち、瞑想といえば禅のイメージを持っている日本人が陥りやすい失敗をしてくれているので日本仏教と上座仏教徒の違いが明確になるので、読者にとっては好都合だ。(私はもともと大乗仏教は好きではないが)

本書にはスマナサーラ長老もたびたび登場し、その謦咳に触れることができる。スマナサーラ長老はスリランカの僧なので、ミャンマーでは短い時間しか登場しないのだが、その存在感は大きく、著者を大いに助けている。この出会いと影響の大きさが現在の日本テーラワーダ仏教協会におけるスマナサーラ長老の役割の大きさとなっているのだろう。

タイトルに「さとり」とあるのは、著者が瞑想中に体験する「身体全体そのものが消えて、ただ認識しているこころだけが残っている」経験のことを指しているようだ。それが本当に悟りかどうかは私には判断できないが、少なくとも一度の悟りではどうしようもないようだ。この経験を再現しようと著者は瞑想をするが、かえってうまく瞑想ができなくなってしまう。十牛図などにあるように、一度、悟りを得てもそれを忘れる必要があるらしい。

修行の世界と並んで興味深いのは、ミャンマーの人々にとっての仏教の存在だ。日本とはまったく違い、人々の積極的な献身で僧の生活が成り立っている。布施がごく自然に生活の中にあるようだ。葬式仏教としてしか存在できない日本仏教の悲しいあり方について考えさせられる。

また日本人の感覚からすると劣悪な修行環境も印象的だった。不殺生のためにさまざまな生物が徘徊し、板の上に汚れたござ一枚で寝るような無一物に近い修行生活。これに耐えられるだけでもすごいことだと思う。

本場の修行について知りたい人にはおすすめの一冊。
  

2005年06月16日

書評:初めての本 上座仏教/アルボムッレ・スナマサーラ

『初めての本 上座仏教―常識が一変する仏陀の教え』(著者:アルボムッレ・スナマサーラ,出版社:大法輪閣)

著者はスリランカ仏教界の長老(お坊さん)のひとり。1980年に来日し、駒澤大学大学院博士課程を修了し、現在は日本テーラワーダ仏教協会で活躍されている。

上座仏教とはスリランカ、タイ、ミャンマーに伝承された南伝仏教のことだ。パーリ語ではテーラワーダといい、「長老の教え」を意味する。成立年代の古い原始仏典を使い、釈尊がつくった修行方法の伝承も行なっているという点で、原始仏教、初期仏教と呼んでもいいようだ。

私は以前より仏教に関心があり、いろいろと仏教関連本は読んでいる。中でも岩波文庫から出ている中村元訳の原始仏典のシリーズのスッタ・ニパータとダンマパダはたまに読み返すこともあり、愛着を感じている。

となれば、上座仏教について書かれた本書には当然私のよく知っている内容が書かれているはずなのだが、あまりに違う内容なので驚いてしまった。「心はただ刺激を欲しがっている。刺激のためなら殺人もする」とか、「あるのはエゴだけ、自己愛だけ」とか、従来の仏教書とは違う強烈な言葉が並べられていた。

通常の仏教書なら、人間の苦しみである四苦八苦は自己への執着から生まれますなんて話が最初に来るものだ。だから自己への執着をなくせば人間は救われると続く。ところが本書はあまり仏教用語を使わずに人間の暗黒面をがんがん強調してくる。露悪的なまでに「こころ」の性質を暴いてくる。半端な人間理解では仏教の世界には入れませんよと言わんばかりだ。

阿含経典には実際にこういうことが書かれているのだろうか。それとも著者の解釈が多く入り込んでいるのだろうか。そのあたりのことがわかるように、丁寧な引用が欲しいところだが、いずれにせよ私はガーンとやられてしまった。

しかし、いくら苦について詳しい説明があったところで、それだけではどうしようもない。救済がなければ仏教ではない。本書は、仏教の救済部分としての修行についての説明もそれなりに納得できるものだった。

その修行についてちょっとだけふれておこう。

修行法のひとつにヴィパッサーナ瞑想法と言うのがある。ヴィッパサーナとは「あるがままに観察する」という意味だ。自分が今ここでなにをしているのかをあるがままに観察する。クリシュナムルティがよく言っている「あるがままのものをあるがままに見よ」と同じことかもしれない。その方法がきちんと体系化されていて、誰でも実践できるようになっている。

この実践により、妄想が消え、今ここに生きられるようになる。そして、種々のとらわれや、誤った自己意識から開放される。

ヴィパッサーナ瞑想については知っていたが、今まではあまりピンとこなかった。今回はインパクトが強かったせいもあって、俄然興味を持ってしまった。本書の説明が自分に合っていたということもあるだろうし、時期的にいいめぐりあわせだったこともあるようだ。

初めての本として、これがいいのかどうかはよくわからないが、仏教に関心のある人におすすめしたい。仏教書としては破格の面白さではないだろうか。
  

2005年06月14日

書評:どうすれば最高の生き方ができるか/ノーマン・V・ピール

『どうすれば最高の生き方ができるか』(著者:ノーマン・V・ピール,出版社:三笠書房)

目標を持つこと。失敗しても成功するまで粘り強く努力を続けること。この手の本のおもな内容はこのように要約できるのではないだろうか。

原理は単純。しかし、実践はむずかしい。

本書では人の役に立つことを目標に選ぶようにとのアドバイスがあるだけで、どういう目標を持てとまでは指定していない。しかし、この本を読む人のほとんどがなんらかの社会的成功を目標に置こうと考えるに違いない。そうでなければこの種の本は読まないのではないだろうか。

自分の中には何らかの意味での社会的成功を達成したい気持ちとそういうものを捨て去りたい気持ちの葛藤がある。当然、前者の気持ちに火をつける役割を果たすのが本書である。ところが、読んでいる途中からつまらなくてやめたくなった。その種の野心が自分の中でどんどん減りつつあるのではないかと言う気がする。最高の生き方は野心とは別のところに存在するような気がしてならない。

自分の野心や社会的成功ではなく、たとえばワークシェアリングの実現や直接選挙制の実現を目標として掲げる生き方も当然ありえるわけだが、そういう目標を想像してもどうも燃えるものがない。

自分はもっと静かにひっそり生きたいと思っているのだろうか。エピクロスを尊敬するB級遊民には社会的な夢も目標もいらないのだろうか。それならいっそ夢や目標を持たずに生きていけるようになるという目標を持とうか。

  

2005年06月10日

書評:野鳥を呼ぶ庭づくり/藤本和典

『野鳥を呼ぶ庭づくり』(著者:藤本和典,出版社:新潮選書)


本書のタイトルは誤解を招く。著者の主張はたんに野鳥の餌付けをしましょうということではない。もっと大きな視野で多くの生き物が集まる豊かな庭のあり方を提言している。

そのためには日本の風土にあったそして本来の生態系を生かした庭造りをしなければならない。だから外来種や改良種を庭に入れてはいけない。その土地に適した樹木を植えなければ、その土地の昆虫や鳥は集まらない。

蝶やハチは自分が好きな花を知っていて、蜜を吸いながら自然に植物の交配をすすめる。てんとう虫やクモなどの肉食の昆虫は植物を食べる昆虫を食べるので無農薬でも植物は守られる。鳥は実を食べては、糞に混じった種を落としていく。

池をつくり、メダカを入れることも勧めている。環境にあった池作りをすればトンボやカエルもやってくる。メダカはぼうふらを食べるし、トンボが蚊の成虫を食べる。カエルは大量の虫を食べるので昆虫の大量発生を防ぐことになる。

このように自然の生態系をうまく利用すればバランスの取れた手のかからない「里山の庭」ができる。そして季節の変化と生き物の共演を楽しめる。

こうした「里山の庭」の中心になるのは、5種類の異なる樹だ。その地域に自生するものから落葉広葉樹を5種類選んで植えることがコツだそうだ。

本書のよさは自然を見るときの新たな視点が得られることだ。目を引くキレイな花が咲いているとか庭がきちんと整理されていることは重要ではない。むしろマイナスになっていることもあるだろう。それよりも自然の生態系が作られていること、その土地の本来の自然環境を壊していないことが大切だ。

ちなみに生き物があつまる環境をビオトープと呼ぶそうだ。最近は庭やベランダビオトープを作る生態系的園芸がブームであるらしい。インターネットで検索するといっぱい出てきた。
  

2005年06月08日

書評:幸福の政治経済学/フライ、スタッツァー

『幸福の政治経済学』(著者:ブルーノ S.フライ,アロイス・スタッツァー,出版社:ダイヤモンド社)


幸福についての研究書。何が人を幸福にするのかを過去の多くの知見からまとめているが、本書の特徴は経済と政治がどのように幸福と関係があるのかをあらたに示した点にある。

統計処理法についての細かいことを言ってもつまらないので、幸福に関係する各要因についてまとめ、ついでに私のコメントを記しておこう。

■性格的な要因
・楽観主義者の方が悲観主義者より幸福になりやすい。(非現実的な楽観主義でも)
・統制感を持っている(自分で状況を換えられると思っている)人のほうが幸福を感じている。(非現実的な統制感でも)
・外向的な人のほうが内向的な人よりも幸福を感じやすい。

コメント:
なるほどそうだろうという感じがする。悲観主義は馬鹿らしいし、自分の内面ばかりを見つめるような生活も御免こうむりたい。しかし、だからといって非現実的な楽観主義者にはなりたいとは思わないし、無理に外向的になりたいとも思わない。そのあたりの按配が自由にならないのが困ったところだ。私はしばしば悲観的になり、さらにしばしば内向する。朗らかな心はなによりの財産と言ったショーペンハウアーは悲観哲学の巨人だった。

■社会・人口統計上の要因
・加齢とともに不幸になるということはない。むしろ若者と高齢者は中年層より幸福だ。
・女性は男性よりも幸福だが、その差は小さく近年消滅傾向にある。
・自己評価による健康は重要な幸福要因である。(医師による客観的な健康評価の影響はこれよりはるかに少ない)
・独身者は既婚者より幸福度が低いが、近年縮小傾向にある。(離婚、死別などの幸福度はかなり低い)
・神を信じることと幸福のあいだには正の相関がある(信じる人はより幸福)。しかし、その効果は大きくはない。

コメント:
自分の健康に楽観的な老後が理想らしい。わかっちゃいるけど、これもまたむずかしい。せめて生活習慣病には気をつけたい。

健康は客観的な状況よりもそれをどう思うかが重要と聞いて、ストア哲学を思い出す。エピクテートスによれば、「人の心を乱すものは、ものごとではなく、そのものごとに対する解釈である」という。ちょっとしたことで気に病む人もいれば、かなり悪くなっているのに平気な人もいる。たとえ病気でも泰然としていたいものだ。

未婚者の幸福度が高まっている一方で、既婚者の幸福度は低下しているという。結婚しても幸福になるのが難しくなりつつあるのだろうか。とりわけ日本ではセックスレスが深刻のようだし、すごい勢いで晩婚化が進んでいる。家族というリスクに足踏みをする人が増えているようだ。

現在の東京は独身者が多いし、独身者が暮らしやすい環境になりつつある。結婚して失敗するよりはシングルのままでいるのもまたよきかな。

影響は大きくないにしても、神を信じていないことで損をしている気がする。だからといって急に信じられないし…。原始仏教ではダメだろうか。暗いよねえ、原始仏典は。

■経済的要因
・途上国においては幸福と所得の間に相関があるが、先進国においては幸福と所得の間に相関は認められない。
・失業は失業した本人を不幸にするだけではなく、それ以外の人の幸福度も低下させる。(リストラの不安感など)
・インフレは国民の幸福度を低下させる。

コメント:
年収が1万ドルを超えたあたりから収入が増えても幸福度や生活満足度は上昇しなくなる。B級遊民のブログで書いたようにも日本はもう頑張ってGDPをアップしてもしょうがない。働きすぎ。本書に「日本における国民一人当たり実質GDPと生活満足度の推移」のグラフが出ているが、これをみると、1958年から日本人の生活満足度はまったく同じだ。

みんなで仕事を分け合って失業をなくし、そこそこの生活費で暮らしていくのがよい。やっぱりワークシェアリングが正解だ。本書には高所得者から税をとって、再分配するのがよいとの提言もある。頑張った人には多くの所得をというアメリカ的競争主義は無用。累進課税の上限を下げたのは失敗だった。小泉総理の政治思想は国民の幸福にとってはマイナスだ。

■政治的要因
・直接民主制と地方分権は幸福を増大させる。
・幸福にとっては、実際の政治参加よりも参加する権利の方がより重要だ。
・外国人は、その国の国民よりも幸福度が低い。(投票権がないから)

コメント:
自分にはこの社会をどうするかを決める権利があるという意識が幸福感を高める。しかし、日本人の多くが、自分が投票しても何も変わらないという意識を持っている。これが日本人の不幸の大きな要因だろう。

地方分権を進め、住民投票による直接選挙をひろめること。これが今後の政治的課題だ。

総括的感想:
幸福の個人的要因はさておき、社会制度においては「仕事のシェア」と「政治決定権のシェア」を進めることが大切だ。このことを多くの人が認識すれば社会はいい方向に変わっていくのではないだろうか。

今後は私の読書に政治分野が加わりそうな予感。

本書はかなりおすすめの一冊。でも、重要な部分はまとめちゃったので、この記事を読めば十分かもしれない…。
  

2005年06月07日

書評:読書のすすめ 第10集/岩波文庫編集部編

『読書のすすめ 第10集』(編集:岩波文庫編集部,出版社:岩波書店)

書店の店頭で無料で配布されている「読書のすすめ」最新版(2005年5月24日発行)。

執筆者は、池澤夏樹、角田光代、鎌田慧、佐伯彰一、筑紫哲也、西川祐子、宮田毬栄、リービ英雄という顔ぶれ。とくにどうということもない随筆集だけど、文章はうまいし、各編とも短くさっと読めるのがいい。ひまつぶしにいかが。

  

2005年06月05日

書評:猫町/萩原朔太郎

『猫町 他十七篇』(著者:萩原朔太郎,編集:清岡卓行,出版社:岩波文庫)

大正から戦前まで活躍した詩人、萩原朔太郎の散文詩、小説、随筆などの散文作品を集めている。巻末には清岡卓行(たかゆき)による長い解説がついている。

朔太郎の詩は気味の悪いイメージやネガティブな感情に彩られたものが多いが、この散文集もその傾向は強い。朔太郎はもともと精神的に病的な傾向があるようだ。そこに生活上の不幸が重なって「鬱」な世界を形成しているらしい。生活上の不幸と言っても、自らの怠惰、人間嫌い、消極的な態度が原因だ。

作品としては「猫町」「ウォーソン婦人の黒猫」などの小説はつまらなかった。むしろ散文詩の方が味わいがある。やはり詩人的な感性が強すぎて、というか構築的な書き方ができないために小説が小説として成り立たないのだろう。

詩としてのよさとは違うが、芥川と死について語った『詩人の死ぬや悲し』が印象に残ったので全文引用する。

***********************************

『詩人の死ぬや悲し』 萩原朔太郎

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟(しげき)し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞(はに)かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈(はげ)しく言つた。
 「著作? 名声? そんなものが何になる!」
 独逸(ドイツ)のある瘋癲(ふうてん)病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
 あの傲岸(ごうがん)不遜(ふそん)のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁(し)みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める為(ため)に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞(うつろ)な悲しいものであつたらう。
 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」
 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚(ばくりよう)たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷(とうごう)大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為(な)すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。
 それ故(ゆえ)に諺(ことわざ)は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善(よ)しと。だが我我の側の地球に於(おい)ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!

***********************************

朔太郎は成人しても親の厄介になりながら暮らしていた。結婚をしても収入が少なく、社会的責任を果たしているとはとても言えず、鬱屈した気持ちが長く続いた。やがて原稿がそこそこ売れるようになってからも、詩人としての自分の仕事に満足感はなかったようだ。なにしろその詩は非社会的で退廃的。彼には自分の詩がただ自分の心情を吐露するだけのものであるとの認識がある。朔太郎には「結局それがなんになる?」という虚無感が常に底流にあったようだ。そういう気持ちが端的に現われた作品なので引用した次第だ。

人が家族を大切にしたり、ナショナリズムに走ったり、あるいは歴史物を好きになる理由は、自分を超えるものへの一体感を感じることで虚無感から逃れることができるからだろう。朔太郎には家族愛もナショナリズムも歴史ヒーローへの憧憬もない。そういう意味では、孤独に一人立つ人という点で彼は近代の知識人の典型なのかもしれない。

「秋と漫歩」「老年と人生」のふたつの随筆も収録されている。かねてから思っていたが、朔太郎は随筆が面白い。詩的な表現をするよりも気持ちや考えをそのまま表した随筆の方が朔太郎と言う人を理解しやすいし、共感しやすい。荷風の小説よりも日記が面白いように、朔太郎は詩よりも随筆が面白い。それは彼らの人間像そのものが面白いからではないだろうか。それを面白いとおものは私の底流に虚無感があるからだろうか。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

2005年06月04日

書評:小村寿太郎とその時代/岡崎久彦

『小村寿太郎とその時代』(著者:岡崎久彦,出版社:PHP研究所)


日清戦争後、朝鮮半島への進出をめぐってロシアと日本の対立が激化する。すでに満州に勢力を伸ばし清国に拠点を築きつつあるロシアが朝鮮半島をおさえてしまえば、やがて日本も侵略されるのは間違いない。日本の独立を守るためには朝鮮半島は何がなんでも日本の勢力下におかなければならない。

日本はロシアのライバルである英国と日英同盟を結び、日露戦争へと突入する。ロシアは圧倒的な軍事力(とくに陸軍)を有していたが、極東への軍事力の配備が遅れていた。早期の開戦が幸いし日本はなんとか互角に近い戦いができた(日本の方が被害は大きい)。しかし、戦いが長引けばなからずロシアは盛り返してくる。しかもバルチック艦隊が日本へ向けて出発している。どうなる日本。

そこで有名な日本海海戦の奇跡的勝利がもたらされるのだが…。一般に知られているのは敵前大回転の作戦だ。しかし、本書を読むとそれよりも日本の砲弾の命中率の高さと発射速度の速さがなによりも勝敗を分けたようだ。相手のバルチック艦隊が急ごしらえの乗組員を乗せ、長旅を続けている間に、日本の連合艦隊は砲撃の練習を繰り返していた。つまり日本人の完全主義と勤勉さによる勝利といえるのだ。

さらに日本に幸いしたのはロシアの国内事情だった。さらに戦いが続けば日本はやはり勝てなかったと思われる。しかし、ロシア国内では共産勢力による反政府運動が高まっていた。ロシア皇帝(ツアー)は対日戦を続ける気は満々だったが、国民的な反戦の機運、反体制運動により戦争の継続は難しくなっていた。しかも、この運動には日本から工作員が送り込まれ運動資金も日本から出ていたというのだ。

本書の主人公は各国の大使(公使)をつとめ、のちに桂太郎内閣の外相として活躍した小村寿太郎だが、睦宗光ほどにはその人物像はクローズアップされていない。人物的には魅力に欠けるし、戦後の対応であまりにタカ派的な考えが目立つ。しかし、親露派もいた中で対ロシアの早期開戦をとなえたのは卓見であったし、日英同盟をおし進めていったのも結果的には日本に大きくプラスとなった。小村のおかげで日露戦争は勝てたともいえる。著者としてはその働きは十分評価しながらも、人物伝的な扱いはできなかったようだ。

そのかわりクローズアップされたのが日露戦争の経過だ。その判断は間違っていないようだ。日本がなぜ勝てたのかという問題は複雑で世界情勢や歴史の流れとも関係が深い。どうしても紙数が必要になる。さらに言えば、紙数を費やしたとしても日本の外交史という本シリーズの枠内では十分には語れない。そういう意味ではさらに大きな世界史的観点での歴史書が必要になるだろう。

日本が世界の列強と並び立つ必然と偶然。やがて悲劇へと突入する予兆。明治はこのようにして終わったのだった。多くの資料を駆使し、7人の専門家の検討に耐えた記述。レベルは高い。おすすめ。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

2005年06月03日

書評:「旅情詩人 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」図録

『旅情詩人 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展 図録』(発行:大田区郷土博物館)

ゴッホ展を見たときに美術館の4階で東京風景の小さな特集展示を行なっていて、そこに出展されていた東京の版画にひきつけられた。先に紹介した『新東京百景 木版画集』にも収録されていた作品もいくつか展示されていて、興味を惹いたのだが、とりわけ感銘を受けたのは川瀬巴水(かわせはすい)と織田一磨(おだかずま)のふたりだった。

ここに紹介するのはそのひとり、川瀬巴水の特別展の図録だ。大田区立郷土博物館が巴水の特別展を開いたのは、巴水が馬込の文士村に長く住んでいたからだ。しかし、馬込に住むほかの作家たちとの交流については不明とされている。

巴水は明治16年(1883)5月18日に東京芝区露月町に生まれ、昭和32年(1957)で亡くなっている。享年74歳。その間、明治、大正、昭和の風景を描き続けた。旅先での風景も多く残しているが、やはり東京を描いたものも多い。北斎、広重と並べて三大風景版画家と評価する声もある。

その版画は浮世絵的な感性で描かれている。画題も現代的なビルなどは描かず、日本的な自然や神社仏閣が多い。また、雪、雨、霧などの天候を好んだところも広重を髣髴とさせる。しかし、伝統的な表現ばかりにこだわったわけでもないようだ。「東京十二ヶ月」のひとつ「三十間堀の暮雪」での雪の表現は版画としては斬新ではないだろうか。

巴水の静謐な作品世界はヒーリング効果がありそうだ。懐かしくも夢のような風景に心が休まる。ほっと一息つきたい人にはおすすめだ。

川瀬巴水、増上寺の雪、hasui-zoujoujinoyuki.jpg
川瀬巴水『増上寺の雪』(1953)
  

2005年06月02日

書評:蒲団/田山花袋

『蒲団・重右衛門の最後』(著者:田山花袋,出版社:新潮文庫小学館)


「蒲団」は田山花袋が若い女の弟子へ抱いた恋情を描いた小説。明治の自然主義文学のさきがけとも言われ、文学史的に重要な作品とされている。

発表は明治40年。その時代性を反映した作品世界が面白い。

中年の小説家である竹中時雄は若く美しい女性、芳子を弟子にとる。どうせブスだろうと高をくくっていたら美人がやってきたのでおおいに驚く。生活は華やいでばら色。しかし、女房子どものいる時雄は浮気ができない。時雄はこの女房にはすっかり飽きている。時雄は情欲を掻き立てる若く美しい芳子にひたすら恋焦がれる。

いろいろと懊悩しているうちに芳子に恋人ができる。この時代、結婚前の男女の交際がほとんど禁じられていたようで、若い二人がいっしょにどこかへ遊びに行っただけで大騒ぎ。汚れた行為(セックス)があったのではないかと時雄は疑心暗鬼。さらに相手の男が文学者になるとか言って上京してきて、時雄は大混乱。男は説得しても帰らない。時雄は芳子の故郷から父親を呼ぶ…。

こんな具体に話は進むのだが、やはりその倫理観のあり方などが時代の記録として面白いと思う。時雄は新時代の女性は自由であるべきだとか西洋の女性のように自立が必要だとかききかじりの男女平等論を披瀝しているが、じっさいに芳子がハイカラな身なりで遅くまで外出していたりするだけで心穏やかではない。神聖な恋は許せても(実際は義務感からそう装っているだけだが)、汚れた行為は断じて許せない。

可哀想なのは芳子の方だろと思うけれど、けっこう本人もいけないことをしてしまいましたって反省しているところがまたけなげ。でも、うまいこと時雄をだましていた彼女もなかなかのクセモノかもしれない。

男の身勝手や女性への差別的意識、新しい思想と古い倫理観。大人としての義務感と本音との葛藤。こうしたものがないまぜになって文学史上の一大事件ともなったトホホな物語を作り出している。古いからこそ面白い。近代の一端を知る一冊としてもおすすめ。

なお「重右衛門の最後」は読まなかった。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

2005年05月27日

書評:新東京百景 木版画集/恩地孝四郎 他

asakusa.jpg『新東京百景 木版画集』(著者:恩地孝四郎 他,出版社:平凡社)

恩地孝四郎、諏訪兼紀、平塚運一、川上澄夫、深沢索一、藤森靜雄、逸見享、前川千帆の8人の版画家による版画集。

限定330冊。定価12,600円。32cmX33cmのサイズ。ずっしり重い。現在、中古でなければ購入はできない。

(書籍画像なし)
「浅草六区」 by 諏訪兼紀

大正12年の関東大震災により東京は壊滅的な被害を受けた。政府は帝都復興院(後に復興局)を設置し「帝都復興事業」を推進した。これにより東京風景は一変した。江戸情緒の残り町並みは消え、近代建築のビル、整然とした街並み、ネオンサインの繁華街、公園、鉄の橋でできた近代都市東京が生まれた。もっともこれも東京大空襲で消え去るのだが。

昭和3年に東京風景をテーマに上記の8人がグループ展を行なったのをきっかけに、会員向け限定頒布の木版画「新東京風景」として、昭和4年から7年にかけて50部限定で発行されたのが最初の出版だ。私が読んだ平凡社のものは後半に戸板康二の文、桑原甲子雄、師岡宏次の写真で東京風景についてのコラムがついていた。

版画はざっくりとした線で描かれているものが多い。大胆な省略とあまり技巧を要しないベタな色塗り。子どもの版画のように稚拙にも見える。表現的にははやや物足りない。

とはいえ、諏訪兼紀の「浅草六区」、川上澄夫の「銀座」など印象深い作品も含まれていて、けっしてつまらない版画集ではない。昔の風景はこうだったのかと驚く版画も多い。たとえば、明治神宮の表参道はかつてはビルなどのない森の中のだだっぴろい道路にすぎなかった。まさに隔世の感がある。

自分は江戸から東京の版画、写真に関心があるので、この版画集は一度は見ておくべきものだった。昭和の初期にこうした版画が作られていた事実も含めて興味深い作品集だ。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  

2005年05月26日

書評:ちくま日本文学全集 永井荷風

『ちくま日本文学全集 永井荷風』(著者:永井荷風,出版社:ちくま書房)


収録作品は以下の通り。

+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
あめりか物語「林間」「落葉」
ふらんす物語「ローン河〈が〉のほとり」「秋のちまた」
すみだ川
西遊日誌抄
日和下駄
墨東綺譚
花火
断腸亭日乗より
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

「日和下駄」「墨東綺譚」は読んだことがあるので、今回は読まなかった。

荷風は小説よりも日記の方が面白いという評をよく見かけるが、たしかにそうかもしれない。「あめりか物語」と「ふらんす物語」よりも同時期の日記から抜粋した「西遊日誌抄」の方が赤裸々で面白い。

荷風はワシントンの日本公使館での臨時雇いを終えた後、父親の斡旋でニューヨークの銀行に勤めることになる。昼間の銀行での労働を嫌悪し、夜はオペラやクラシックのコンサートを楽しむ生活が続く。将来は芸術で身を立てることができるだろうかと不安と希望を語り、フランス行きを渇望し、自分をアメリカにとどめている父親の無理解(というか荷風のわがままなのだが)について愚痴る。

同時に娼婦との恋愛が進行する。女が荷風と一緒に暮らしたがっているのは、その悲惨な生活から抜け出せるのではという期待があるからかもしれない。しかし、荷風は冷たい。一時は情にほだされもするが、フランス行きが決ってからはもう女のことは捨てるつもりでいる。

お金持ちのディレッタントの労働嫌い。遊び好きで冷酷。荷風のありのままの姿が日記上に展開する。

「すみだ川」はつまらない小説だ。下層階級の生活を活写している点で興味はひくけれど、ストーリーはこれから面白くなりそうな場面で終わってしまう。主人公に荷風の心情を託している部分もあるだろうが、とくに深さもない。

「花火」では、自分がかつて体験した祭日の記憶をたぐる。国が祭日の行事を通して愛国心を醸成していた様子が描かれたり、(大正天皇)即位式祝賀会における芸者たちへの集団暴行事件が描かれる。帝国主義時代の雰囲気と日本人の民度の低さが印象的だ。まとまりのない話だが、当時の世相の一端を垣間見ることができる。

「断腸亭日乗」は終戦前後の記録を抜粋。おぼっちゃまで泰然と生きていた荷風もまたこの時期は苦労したようだ。「重ねて郵書を法隆寺村なる島中氏に寄す、漂泊の身もしかの地に至ることもあらばその人の厄介にならむ下心あればなり、余も今は心賤しき者になりぬ」。

終戦の日までの数日を谷崎潤一郎に厄介になっていたことが書かれているが、どうやら谷崎は疎開先でもいい暮らしをしていたようだ。

本書は長い作品からの抜粋が多いので、荷風の作品をつまみ食いできる。入門用には最適ではないだろうか。

人気ブログを紹介してます。  click on blog ranking
  
次のページへ